本記事について
本記事では、「ミソキネシア(動作嫌悪症)」と「ミソフォニア(音嫌悪症)」の人が
- 何の現象に対して
- どう感じているか
を挙げている。あくまでも私(筆者)の例であるため、他にも例はあると思う。
本記事は、特に以下のような方に見ていただきたい。
- 自分が「ミソキネシア」「ミソフォニア」かと疑うが、確信が持てない人
- 他人に「ミソキネシア」「ミソフォニア」の説明をしたい人
- やたら動作や音に対して敏感な知人がいる人
ミソキネシア、ミソフォニアの実例(?)があまりネットに転がっていないように感じたので、私の場合はこんなんですよー というのを書いておきたい。
本記事が、「ミソキネシア」「ミソフォニア」への理解の助けになれば幸いだ。
ミソキネシアとは
「ミソキネシア」について検索すると、だいたい以下のような説明が見つかる。
「ミソキネシア」は、他人のそわそわした動きや小さく反復的な動きを見たときに、強い否定的な感情や情動反応が起こる心理現象を指します。具体的には、他人が食事している時の口の動きや貧乏ゆすり、同じ場所を行ったり来たりする行動を見ると、苛立ちや嫌悪感を抱いてしまいます。注意すべきは、音は関係しないということです。たとえば、クチャクチャという咀嚼音や、貧乏ゆすりのカタカタという音は関係ありません。この「ミソキネシア」は、他人の動きが視覚的にトリガーとなる現象であり、音が気になる現象は別に「ミソフォニア」と呼ばれます。研究によれば、ミソキネシアは予想されていたよりも普遍的で、3人に1人はその傾向があることが判明しています。
ミソキネシアの症例
私は恐らくミソキネシアだ。
私の場合、どんな症状があるかを以下に挙げる。
例1)電車内で他人の貧乏ゆすりが視界に入ったとき
電車に乗る。当然いろいろなことを考えたりしながら過ごしている。
対面に人が座り、貧乏ゆすりを始めると…
脳内は、"貧乏ゆすりをしている対面の人"で埋め尽くされる。勝手に。
しかも、それを脳内から排除できない。
さらに、一瞬で怒りボルテージがMAXに達して、破壊衝動が沸いてくる。
「何としてでもあいつを止めたい!!! この野郎!!!!」くらいの勢いだ。
もちろん、そんなことをしたら傷害罪だ。
その気持ちを理性で必死に抑えなければならない。
(罪に問われない世界なら、もう既に何人破壊しただろうか。)
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例2)店で友人と談笑中に第三者の貧乏ゆすりが視界に入る
カフェなどで友人と何気ない会話をしている。
ユウジンの話を聞いて、なんやかんや考えたりして、返答する。
そこに隣の席の第三者が貧乏ゆすりを始める。
友人の話など一切頭に入ってこない。
第三者の貧乏ゆすりが脳内を埋め尽くすからである。
そしてもちろん…
一瞬で怒りが頂点に達して、破壊衝動が襲ってくる。
友人の話に返答はおろか、相槌さえもできない。
破壊衝動を抑えることに脳のリソースを100%近く割いているからだ。
そんなんじゃカフェとかでどう過ごしているの?と疑問に思うだろう。
私の場合は、手で物理的に視界を遮って、貧乏ゆすりが目に入らないようにしている。
もし両隣の人間が貧乏ゆすりを始めたら、両手で両側の視界を遮る。
(心身ともに、めちゃくちゃ疲れる。)
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例3)何もないとき
私は、目の前の人間が貧乏ゆすりをしなくても、常に警戒してしまう。
なぜなら、"目の前の人間がいつ貧乏ゆすりを始めるかわからない"からだ。
目の前に座った人間は、知らない人だ。
知らない人ならば、貧乏ゆすりをする可能性が0%ではないのだ。
そうなると、いつ貧乏ゆすりが私の視界に飛び込んでくるか…
恐ろしくてたまらない。警戒しなくてはならない。
(ホラーゲームかな??)
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以上がミソキネシアであろう私の症例だ。
他にも以下のような些細な(私にとってはぜんっぜん些細じゃない)ことにも敏感だ。
これらは誰でも無意識にやっているだろう。
悪意はないのだろう。
しかし、私にとっては破壊対象だ。
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ミソフォニア(音嫌悪症)
私はミソキネシアに加えて、恐らく「ミソフォニア」でもある。
「ミソキネシア」における嫌悪の対象は動きなのに対して、
「ミソフォニア」における嫌悪の対象は音である。
ミソフォニアの症例も挙げておこう。
ミソフォニアの症例
例4)2軒隣の犬が吠えた時
2軒隣の家から聞こえてくる音だから、音量は小さいが、
かすかに聞こえてきたとしても殺意を覚える。
疲弊しているときなど、自分のコントロールが難しくなっているときは、
犬の鳴き声が聞こえた瞬間、自室の壁や机を全力で殴っている。
これは、反射的であり、衝動的である。
(そんなことをしても何かが改善される訳でもないのに。)
だから、家にいるときは「いつ2軒隣の犬が吠えるか分からない」ことに怯えている。
いつでも吠える可能性は0%ではないから。
そんなことではまともに生活できないので、自室では常にヘッドホンを着用している。
首が疲れたり、耳が疲れたりするから、1日中ヘッドホンを付けていたくはない。
しかし、犬の鳴き声が聞こえてくる可能性に怯えるよりかは数億倍マシだ。
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ミソフォニアの症状を他にも挙げておく。
音量は関係ない。「その音が聞こえるか」に怯えている。
だから、工事の音とかには無関心だ。
多分誤解される部分だと思う。
「うるさい音が嫌い」ではなく、「嫌いになった音を聞くことが嫌い」なのだ。