オババブログ(名古屋のおばちゃん50代ですが何か) -138ページ目

オババブログ(名古屋のおばちゃん50代ですが何か)

金爆ダルビッシュの「オバマブログ」に対抗して「オババブログ」始めます。
音楽とおばちゃんの昔話をぐだぐだと。  





        前回の続きとなります。





        レノン研究家の米カリフォルニア大学アーバイン校の

        ジョン・ウィーナー教授 らを中心とする人権擁護団体がFBIに公開を求めていた

        ジョン・レノンに関する機密文書は 1981年に 却下 されました。

        教授達は公開するよう法廷で 25年 も争い

        2006年12月にFBIがやっと公開を同意したのです。

        そうなんです、アメリカに渡ったジョンは FBIに監視されていた のですよ。

        しかし、公開されたのは最近の10ページだけで

        しかもほとんどが黒く塗りつぶされていたのです。





        





        ジョンは 「 ベトナム戦争は間違っている 」 と言いました。

        そして、アメリカ政府から危険分子と目を付けられた反体制思想家 ジョン・シンクレア が

        おとり警察官に麻薬煙草を売ったとして

        10年もの懲役刑を宣告されたことに抗議する集会で

        「 John Sinclair 」 という曲を披露します。





         (https://www.youtube.com/watch?v=QmcPgmvLd3s)
         





        ♪ 間違ってるよ ジョン・シンクレア

          刑務所に入れられるなんて

          君たちは気にならないのか?彼のことが


        ♪ もしも彼が兵隊で ベトナム人を殺していたら

          もしも彼がCIAで 麻薬を売って世の中を乱していたら

          彼は自由に 君や僕のように 生きて行けただろう






        そのコンサートから3日程経って、ジョン・シンクレアは釈放されるのですが

        ジョンは ニクソン政権 から、一級の 要注意人物の政治運動家 として

        マークされるハメになったわけです。

        ジョン自身が、自宅と弁護士宅の電話が 盗聴 され

        常に諜報員に 尾行 されているとテレビで話し、視聴者を驚かせています。

        デジタル化される以前の電話では、盗聴されるとクリック音やノイズが発生し

        これは、ジョンと電話をした何人かが証言しています。

        FBIと国務省と、その内部の国内治安部が揃って移民帰化局に圧力をかけ

        ジョンとヨーコの 強制国外退去 を画策していたようです。

        共和党上院議員が司法長官に宛てた手紙の最後には

        「 この男を追い出せるか ? 」

        という殴り書きまであったとのことです。




        1971年のクリスマスに向けて、ジョンは

        「 ハッピー・クリスマス ! ウォー イズ オーヴァー 」 ( 戦争は終わる )

        という曲の製作にあたって

        このフレーズを使った ポスター・キャンペーン を大々的に行いました。





         (https://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg)
        





        しかし、このキャンペーン以来、ジョンに関するFBIファイルは

        いっそう悪意に満ちたものになります。

        「 すべての過激派を危険とみなすべし 」

        という一行がデカデカと大文字で、下線まで引いて報告書に書かれていたそうです。

        平和運動家 で 非暴力主義者 だったジョンが、過激派とみなされるのですね。





        1975年、ベトナム戦争は終わり ました。

        国民の目には決して触れることがなかった

        米兵によるベトナム民間人の虐殺写真が 、白日の下にさらされ

        ウォーターゲート事件も重なって世論が高まり

        アメリカ諜報機関への調査のメスがついに入ったのです。

        その結果、ジョン・F・ケネディ の暗殺の 謀略は確かに存在した と発表され

        衝撃的なトップニュースとなりましたが、容疑者の絞り込みはされませんでした。

        FBIのジョンの包囲網も、かなり緩まったはずです。

        1976年には、ジョンは5年にわたる法廷闘争が終結し

        アメリカへの入出国も滞在も自由 に出来るようになったのです。

        その後息子ショーンの育児に専念し、数年間は音楽活動から離れ

        ゆったりとした時間を過ごすことになります。




            




         その② はここまでです。

         その③ に続きますが、それで最後となります。

         よろしければまたご覧下さい。