今日は ジョン・レノン の命日 です。
( その① ) ( その② ) とご覧頂きましてありがとうございます。
今回で最後となりますので、もう暫くお付き合い下さい。

1980年10月、現職 民主党の カーター大統領 が
イランに拘束されている人質を取り戻せなかったことに、国民の不満は高まっていました。
レーガン は、イランに取引を持ちかけます。
選挙で勝ったら、イランへの武器輸出を再開し現金300万ドルを供給する代わりに
人質を1月まで解放しないこと を。
イラン側は承諾し、レーガンが大統領に就任した数時間後に
444日間 ずっと拘束されていたアメリカの人質が突然解放され
飛行機に乗せられました。

レーガンの勝利によって、CIAの タカ派 及びCIAに支援されていた
ラテン・アメリカの 軍事国家 は好き勝手のし放題となり、暴走 を始めます。
エルサルバドル で行われていた、FDR民主党野党の記者会見では
秘密警察が計画的に右翼のガンマン達を会場に招き入れ、メンバー20人を誘拐。
翌日、リーダーの エンリケ・アルバレス・コルドバ を含む6人の
バラバラ遺体が発見されました。
アメリカからエルサルバドルにやって来た、4人の修道女が拉致され
レイプ、拷問の末殺害された事件では、駐在大使の ロバート・E・ホワイト が
激しく非難したにも関わらず、犯人が法廷で裁かれることなく
エルサルバドル政府への援助は、数週間後に再開 されてしまいました。
それだけでなく、ホワイトはレーガンによって 解任 されてしまうのです。
その後の1年間で、アメリカはこの軍事政権に 総額3千万ドルもの経済援助 を行い
1万人以上の市民が殺害 されたのです。
そのような政権に変わった 1年後 には
ジョン・レノンの アメリカ市民権取得の資格 が生じるはずでした。
市民権を得れば、市長や州知事にも立候補できます。
名声もあり、グリーン・カードを取得する時には多くの著名人が支援をしました。
さて、熱狂的なジョンのファンであったチャップマンが
単に自分の意思だけで発砲したということには
ケネディ大統領暗殺の犯人、オズワルドと同じような 疑問点 がいくつも挙がっています。
○ 熱狂的なジョンのファンであるのにも関わらず
彼の知人は誰一人、そのことを知らなかっただけでなく
家にはジョンのレコードが 1枚も無かった。
○ 大学を中退したさほど裕福でもないこの男が、1978年から 世界旅行 をしている。
日本、イギリス、スイス、インド、ネパール、タイ、韓国、ベトナム、中国 。。。
この間1200枚もの写真を撮影し、帰りにはアトランタに立ち寄って
警官の友人に会っている。
○ ジョンを撃った前日、シェラトンホテルに泊まり高級コールガールを呼んでいるが
それらのお金は、持っていたダリとロックウェルの絵を売却したと説明した。
○ チャップマンの宿泊したホテルに残されていた航空券には偽装工作がされていた。
実際にハワイを発ったのが 2日 なのに、5日 に直されていた。
ニューヨークに直行したことになっているが、その前にシカゴに3日間滞在している。
作者は、ナゾの3日間に 洗脳 されていたのではないかと考えています。
もちろん3日間だけでなく、世界中の旅で訓練を受けていたのではないかと。
実際に プログラミング されて行われた犯罪の例が、過去にいくつかあるそうです。
今回私は、1冊の本をご紹介したに過ぎません。
フィクション だよと思われる方、そうでない方
色々な考えがあると思います。
コメントを頂くのは、差し控えたほうが良いでしょうね。
最後にラストアルバムの中から
「 Starting Over ( 再出発 ) 」 をどうぞ。
音楽で再出発しようとしていた矢先に、ジョンは銃弾に倒れました 。。。
(https://www.youtube.com/watch?v=7zoKt-CVQvI)
説明がヘタクソで、なんだか悲しくなってしまいましたが
拙い文章をここまでお読み頂きまして、本当にありがとうございました。