ジョン・レノン が亡くなった日が近付いてきました。

1980年12月8日
ジョン・レノン は銃弾に倒れました。
あまりのショックに涙が止まらなかったことを、今でもはっきりと覚えております。
しかし、それ以降はジョンの命日になると
一人静かにジョンの曲を流して偲ぶことはあっても
ジョンの死について、詳しく知ろうとはしませんでした。
そんなこと、知りたくなかったのです。
あのときの、あの場所にそっと置いたまま
あえて触れずに、今日まできました。
ここ最近、やっとジョンのその時の様子と犯人である マーク・チャップマン のことを
少し知ろうと、2冊の本を読んでみました。
1冊目は、私が当時知っていたことが詳しく書かれただけの物でした。
ジョンの熱狂的なファンであったチャップマンは
ジョンめがけて発砲することにより、注目を集め有名になりたかったと話していたこと。
事件当日、ファンの一人としてジョンと写真に納まっていたこと。

標的に当たると膨張し、標的の体内を通る際に組織をより大きく損傷させる
4発のホローポイント弾で撃たれたジョンは、助かる見込みがなかったことが
誰の目にも明らかだったこと。
しかし、もう一冊の本は全く内容が違っていました。

この本の前半は、1963年に起きた
第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディ の暗殺事件のことが書かれています。
リー・ハーヴェイ・オズワルド という男の単独犯行として片付けられたこの事件の
数え切れないほどの疑問点については、私も存じておりました。
○ オズワルドはケネディの後方にある劇場にいたのだが
弾丸は 前方 から撃ち込まれている。
○ 同時に撃たれた コナリー知事 までの弾丸の動きを考えると
二人以上 が発砲していないと無理である。
○ 証拠品とされる弾丸は、無傷で新品同様 であった。
○ オズワルドは事件の2日後、ダラス市警察本部から郡拘置所に移送される際
警察本部の地下通路でナイトクラブ経営者の ジャック・ルビー によって
射殺 される。
○ ジャック・ルビー のオズワルド射殺の理由は
「夫が暗殺され悲しんでいるジャクリーン夫人とその子供のため」 と不可解。
4年後には獄中で死亡。
○ 暗殺の目撃者 28名のうち15名 が、ケネディ暗殺から4年の間に
銃殺・車による轢き逃げ・喉を切られた殺人・原因不明の自殺等で亡くなっている。
この事件を追っていたジャーナリストで、予期せぬ死を遂げている人も多い。
○ 10年後には、米軍情報部内に保管されていた
オズワルドに関するファイルは 廃棄処分 された。
理由は単なる慣例作業で、スペースの節約の為。
アメリカ政府は、ウォーレン委員会 と呼ばれる公式調査を行った結果
● ケネディ大統領暗殺犯はオズワルド ただ一人。
● 大統領を撃った 全ての銃弾 はテキサス教科書倉庫ビル6階の窓から発射された。
● この暗殺事件に絡む陰謀は内外を問わず 一切なかった。
とだけ発表し、これで終わりとなりました。
ケネディは、ベトナム戦争からの米軍の 完全撤退 を推し進めていましたが
副大統領の ジョンソン は、この政策に大反対でした。
彼の周りには、戦争が長引くことによって潤う人々が集まっていたのです。
ケネディ亡き後、大統領となったジョンソンは
ベトナムから米軍を撤退するというケネディのNSAM263号をキャンセルし
そこから3年の間に、25万人以上の米兵をベトナムに送り込むことになります。
2039年 にケネディ大統領暗殺に関する機密文書が
全面公開されると言われていますが、関係者はこの世にいませんよね。
その後、反戦運動をしていた キング牧師 そして
ケネディ大統領の弟 ロバート・ケネディ も暗殺されるのですが
共に逮捕された犯人は、替え玉だったのではないかと言われています。
その① はここまでです。
その② に続きますので、よろしければまたご覧下さい。