5月6日まで、ブログ休みま~す!
(*´・ェ・)ノ★*゚*ヨロシクデス*゚*☆
しかし、5月2日は hide と 清志郎 の命日でありますので
去年の記事の再UPをさせて頂きますね。
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ブログのんびり更新します宣言してすぐに更新?
って、笑わないで下さいね。
だって明日は hide の命日ですもの。
考えてみたら、hide についてちゃんと記事書いたことなかったなぁ。

ギタリストって以前にも書きましたが、大概ヴォーカルの斜め後ろにいて
黙々とギターを弾く。
ソロになるとやっと中央にやって来ますが、やはり黙々とソロを弾く。
そしてソロが終わると、斜め後ろに戻る。
60年、70年代のバンドは殆どがそんな感じで
今でもそのスタイルのままのバンドも多いですよね。
多分、こんなギタリストがいるんだって驚かせてくれたのが hide です。
あちこち動き回る、跳ねる、オーディエンスを挑発する。
Xはツインギターなので、やたらパタと比べられて
パタに付いて行こうとしている「必死モード」が可愛いとか言われていました。
「 Voiceless Screaming 」では、アコギが難し過ぎると
ベースのTaiji にギターを任せてしまう。( Taiji は元ギタリスト)
そんなギタリストいますかねぇ。
(https://www.youtube.com/watch?v=hS7jYxlBvrM)
「ビジュアル系」という言葉を編み出したのは hide です。
美容師の資格も持っており(音楽は諦め、美容師として働くばかりだったときに
yoshiki から声をかけられています)
元祖だけあって、彼のビジュアルは素敵です。





Xjapan と平行してのソロ活動は、メンバーの中で一番活発でした。
ライブでカメラマンが撮影のために会場中を動き回る台
に乗って歌ったり、メガホンをマイクにして歌ったり。
そう思うと、アコギだけのライブをしたこともありました。
私が一番好きな頃の hide の動画をご覧下さい。
(https://www.youtube.com/watch?v=E7HPTrgxBqQ)
(https://www.youtube.com/watch?v=cAIkiSlYT_U)
ファンだった難病の女の子とずっと交流を続けていた hide。
yoshiki が taiji を辞めさせたとき、泣いていたという hide。
Xjapan の最後のライブのときも、泣きながらギターを弾いていた姿が
とても印象的でした。
Xjapan が解散ライブを行ったのが、1997年12月31日。
翌日1998年1月1日に「 hide with Spread Beaver 」
としての活動を朝日新聞紙上の全面広告に掲載したのも
Xjapan ファンを一日たりとも悲しませたくなかったからだそうです。
でも、その年の5月2日、この曲を残して
彼は逝ってしまいました。
(ピンク スパイダー (STUDIO LIVE))
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忌野清志郎の 『ネズミに捧ぐ詩』 が
命日である5月2日に発売されることになりました。
新たに自宅で見つかったノートを書籍化した私小説です。


清志郎は3歳で実母・富貴子さんを亡くし
子供のいない実母の姉夫婦のところへ養子に出されています。
記憶のない実母にあてた手紙や歌詞も記されています。
30代のとき叔母から実母の写真を渡されて、初めて見た母親に対し
「わーい 僕のお母さんって こんなに可愛い顔してたんだぜ
こんなに可愛い顔して 歩いたり 笑ったり 歌ったり してたんだね」
と、子供のようにその嬉しさを綴っています。
そして一緒に暮らせなかった実父にも
「新井 弘さま 僕に会ってください」
と、これもまた子供のように書いています。
(お父様には喉頭ガンを患ってから会うことができ、一緒に温泉などに
出かけたようです。)
「少年のような心を持った男性」って、よく言うでしょ。
清志郎は、正にそんな人だなって。
そんなに歌が上手いとは思わないけど、私は清志郎の声と歌い方が
ずっと好きでした。
デヴィッド・ボウイなどのグラムロックに影響されて始めたメイクを
亡くなるまでずっと続けていた潔さも好きです。
そして、彼はチェルノブイリ原子力発電所事故が起こったときに
こんな曲を作っています。
SUMMER TIME BLUES (原子力はもういらねぇ!)
「 熱い炎が先っちょまで出てる 東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ 増えていく 原子力発電所が立っていく
さっぱりわかんねえ 誰のため 」
「 それでもテレビは言っている 日本の原発は安全です
さっぱりわかんねえ 根拠がねえ!」
LOVE ME TENDER 【放射能はいらねぇ!】
「 何言ってんだー、ふざけんじゃねー
核などいらねー
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ 」
チェルノブイリのときですよ。
少年の心を持った彼には、分かっていたのでしょうね。
放送禁止になっても、彼はライヴで歌い続けていました。
東日本大震災の2年前に亡くなった清志郎。
震災を知らずに逝ってしまったことは、彼にとっては良かったことなのかなぁ。