18日まで出かける予定でしたが
体調を崩した者が出た為、家に帰って来ました。
ええ、かなり回復しているようで心配ないのですが
結局またパソコンに向かってしまいます。
このお盆は、特攻隊として散華された方々の
番組や新聞記事を多く目にしました。
いや、今までも何度も目にしているはずなのに
自分の息子が同じくらいの年齢に達したから
余計に気になったのかもしれません。
今、自分の息子が特攻隊員として戦争に行くことになったら
帰りの燃料は無い飛行機に乗らなければならなかったら
燃料だけでなく、旧型機や練習機、或いは故障している飛行機に
乗らなければならなかったら
新聞記事の特攻隊の方の写真の顔を頭の中で息子に変えてみる・・・
胸が張り裂けそうです。
弾の一つとして
散って行くということが分かっているのに
お国の為に役に立てると万歳をして送り出す家族。
大切に育てた息子を優しい兄を見送らなければならない。
自分も出撃すると言って特攻隊を送り出していた人物が
部下からお供しますと言われたとき
「 死ぬばかりが責任を果たすことにはならない。」
と言って帰還し、95歳まで生きたという事実もあります。
私はお盆の頃だけではなく
実は人生の中で何度も特攻隊の方のことを
思い浮かべてきています。
そんなときは決まって辛いこと、悲しいことがあったとき。
やりたいことがたくさんあったのに
若くして散らなければならなかった人々がいる。
なんだか不謹慎な感じもしていました。
どんなに辛くても生死に関わるようなことではない。
その程度のことで特攻隊の人々を思うなんて不謹慎だと・・・
でも、ずっとずっと思っています。
私たちの平和で幸せな暮らしは
大勢の人々の犠牲の上に成り立っているということを。
そしてそれらの多くの犠牲は、たった68年前に起こったということを。
最後に特攻隊の方の遺書の一部です。
お母さんへ、ご安心下さい。
決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。
それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいった幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!
かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言って下さい。
(中略)
「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であつたことに就て、大きな誇りを持って下さい。
勇ましい爆音を立てて先輩が飛んで行きます。
ではまた。
富田 修中尉 (23歳)
にほんブログ村
日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ