サディスティック・ロックの女王
スージー・クアトロ
男達を従えて
ガンガン ベースを鳴らしていました。
アメリカのデトロイトで生まれ、15のときには姉達とバンドを結成。
20歳のときに別のバンドで歌っているところを
たまたまジェフ・ベックのレコーディングでアメリカにやって来ていた
ミッキー・モストに見出され、渡英することになりました。
1973年には「Can the Can」・「48 Crash」・「Daytona Demon」
と、立て続けにヒットを飛ばし
「ホリデェイ ヒット ポップス」の上位にいつもいました。
ヨーロッパとオーストラリア・日本では大人気。
1977年には大都市だけではなく中都市も回る大規模な日本ツアーを行っています。
以前書いたミッシェル・ポルナレフと同じように
ある一時期日本ですごく人気があり、そのときにLPとシングル各3~4枚買ったなという感じです。
1978年には従えていたギタリスト レン・タッキーと結婚。
親日家のスージーは日本でも結婚式を挙げたんですよ。
その後も 「Devil Gate Drive」・「Too Big」・「Wild One」と
日本やヨーロッパではヒットが続くのですが
本国アメリカでは今一つ人気が出ず
1979年に「スモーキー」のクリス・ノーマンと共に「Stumblin' In」を
やっとヒットさせたものの、長続きしません。
だって、次を見てください。とてもスージーではありません。
なんじゃい、これは。
やはりスージーは素肌にレザーのジャンプスーツですよね。
しかもインタビューで
「ジャンプスーツでベースを弾くと、くい込んで気持ちいいのよ。」
と、言っちまう。これがスージーでしょ。
スージーさん、今も活躍していますよ。
現在、63歳。
まだまだジャンプスーツを着てステージをこなしています。
ベースの腕だって衰えていません。
それどころか、スティックさばきまで見せちゃってます。
こんな大先輩を見ていると
私なんてまだまだひよっこ。見習わねば!
と思ってしまいます。
(お借りしました)
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