社会人になってからも、仕事のストレス発散の為と称して
たま~にディスコに出没しておりました。
この頃になると、ブラックもソウル色が薄れ
軽くポップな感じに変わっていきました。
いわゆる「ブラコン」の初期ですね。
リック・ジェームス、レイ・パーカー、クール&ザ・ギャングなんかがよく流れていました。
あっそうそう。MCハマーが出てきたとき、
絶対リック・ジェームスのこの曲のパクリだと思ったんですけど。
フロアにいる人もガラッと変わりました。
以前のブログにも書いたんですけど、
この頃はサーファーファッション全盛。
女の子達はパールの入ったブルーのシャドウに同じパール入りピンクのルージュ。
そしてファラカット(サーファーカット)
男の子が面白かった!
変なおかっぱだったんだよね。
初期のふかわりょうか、南海キャンディーズのやまちゃんを思い浮かべて下さい。
(あんまり思い浮かべたくないけど)
髪の色をまっ茶にし、口髭を付けた感じ。
変なんだけど、このおかっぱ野郎どもがうじゃうじゃいたんですよ。
フロアには、当時流行っていたタバコ 「 KOOL 」 のメンソールの香りと
香水 「 ムスク 」 の香りが漂っていました。
あるとき、店の子が東京に遊びに行ってきたのですが
帰ってくるなり、東京では今クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」
この4拍子の曲を3拍子で踊るのが流行っているらしい
との情報を仕入れてきました。
何でわざわざ3拍子にする
踊り辛いに決まってるだろう
と思いつつも
「東京もんに負けたらあかんがねぇ。」
「みんなで踊ろみゃ~。」
(言っておきますけど、私こんな話し方する名古屋人を一度も見たことありません。
これは「きんさん・ぎんさん」の世代までです)
とりあえず練習してみました。
案の定 踊りにくい。何で1拍子ずらすのよ。
ふと見ると、やたら仕切りなおしている奴続出!
なんとかみんなが踊れるようになった頃
「愛のコリーダ」もすたれはじめ
ホール&オーツなんかが流れ始めたと同時に
私たちは静かにディスコを卒業していくのでありました。
でも当時東京で踊っていらっしゃった方にお聞きしたい。
私達、お店の子におちょくられていたのではないでしょうか?
それでは踊りにくかった クインシー・ジョーンズと
一番よく踊った シェリル・リンをどうぞ。
ぽちっとして頂けたらうれしいです。
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