1989年公開のアメリカ映画です。

 ユダヤ系の老婦人とその黒人のお抱え運転手(息子が金持ちで、運転が怪しくなった母を心配して彼を雇いました)の25年(1948年から1973年まで)に及ぶ交流を描いています。

 最後の方では、老婦人は老人ホームに入り、運転手も自分では車を運転できなくなるほど年取っています。

 それでも、息子は彼に給料を払い続け(彼が母親にとってかけがえのない存在だと知っているのです)、二人して母を見舞ったりしています。

 アカデミー賞の作品賞、主演女優賞(ジェシカ・タンディが八十歳の最高齢で受賞しています)、脚色賞、メーキャップ賞を受賞しています。

 この映画は、二人の名俳優(タンディと運転手役のモーガン・フリーマン)の圧巻の演技で成り立っているといっても過言ではありません。

 また、息子役のダン・エイクロイドもいい味を出しています。

 作品の背景には、アメリカ南部における黒人差別(マーチン・ルーサー・キング牧師の演説も出てきます)やユダヤ人差別の問題もあり、庶民におけるアメリカ現代史的な趣もあります。

 

 

 

 三島由紀夫賞と坪田譲治賞をダブル受賞し、芥川賞の候補にもなった作品です。

 春休みに、利根川水系を我孫子から鹿島まで徒歩で旅するロードムービーのような趣のある作品です。

 小説家の主人公と姪のサッカー少女(サッカーの強豪の私立中に受かったばかりの小学六年生)の二人組に、就職の内定が決まった女子大生が偶然途中から加わります。

 「旅する練習」というよりは「練習する旅」といった方が適切かもしれない奇妙な旅です。

 主人公は、所々で立ち止まって、その場所の風景(水辺や水鳥が多い)を描写します(それが彼の趣味であり仕事でもあります)。

 その間、少女の方は、リフティングの練習をします。

 そこに、ジーコと鹿島アントラーズのファンになったばかりだという女子大生のエピソード(コロナのために内定辞退を促されます)が絡んできます。

 彼女との出会いもそうなのですが、いったん二人から離れて、再会するあたりは特に強引ですが、私自身もジーコと鹿島アントラーズのファンなので、それに関するエピソードはかなり楽しめました。

 それだけに、少女の死という衝撃的なラストは納得がいきませんでした。

 全体に、擬古的な文章だったり、古典的な文学者の引用を散りばめたり、運動能力の高い魅力的な少女が重要な役だったりなど、堀江敏幸の「いつか王子駅で」(その記事を参照してください)を思い起こさせますが、あちらはラストの読み味が良かったのになあと思わざるを得ません。

 

 

 

 映画化もされた2008年出版(雑誌連載は2007年)の作品です。

 学生時代に犯した集団レイプ事件の犯人と、その被害者である女子高校生のその後の人生を執拗なタッチで描いています。

 描写に迫力があって一気に読ませますが、二人の関係が途中でよめてしまって、興ざめさせられる点もあります。

 ひとつの事件が二人の一生をこのように狂わせるのは、ありそうでいて実はそうではないのではないかとの疑念を抱かせます。

 ただし、この作品は、極端な誇張や設定を使って、偶然性も多用したいわゆるエンターテインメントの書式で書かれているので、そこまでリアリズムを求めるのは野暮かもしれませんが。

 

 

 

 

 2008年公開の日本映画です。

 東野圭吾のベストセラー(直木賞をはじめとしてミステリー関係の賞など五冠を受賞しています)の映画化であるとともに、東野の短編をテレビドラマ化したガリレオ・シリーズの映画版でもあります。

 そのため、テレビで人気だった福山雅治や柴咲コウなどのキャストはそのまま使われています。

 しかし、彼ら事件の捜査側はそれほど前面には出ず、容疑者を演じた堤真一や彼がかばうことになる女性を演じた松雪泰子の物語(原作もそうなのですが)の方がクローズアップされます。

 特に、松雪は薄幸の美人役をやらせてたら天下一品なので、この映画でも一番印象に残ります。

 堤真一も、普段と違う暗い役柄を熱演しています。

 ストーリー自体は、こうした原作物にありがちなのですが、かなり端折った感じは否めず、原作の淡々とトリックを積み上げていく感じは、かなり薄まっています。

 

 

 

 

 

 高名なシャーロッキアン(シャーロック・ホームズ研究家)が書いた入門書です。

 彼らが正典と呼ぶ全60篇(長編4篇、短編56篇)の解説をもちろん、主なキャラクター(ホームズとその相棒のワトソン博士をはじめとして、仇敵のモリアーティ教授までの重要人物が詳しく述べられています)、時代や地理の背景、著者のアーサー・コナン・ドイル、さらにはパスティーシュ(他人が書いた続編)やパロディ、関連図書、他のメディア作品など、詳しく紹介されています。

 特に、どの単行本や文庫本(著作権が切れているせいもあり、各社から出ています)を読めばいいかを読者のタイプ別に紹介しているのは、初心者には親切です。

 全編、シャーロック・ホームズへの愛にあふれていて、いかに同好の士を一人でも増やそうとしているかの熱意が感じられて、好感が持てました。

 

 

 

 

 2021年公開のアメリカ映画です。

 ゲームソフト(サングラスをかけたキャラクター(ゲーム参加者)が銀行強盗や殺人などの犯罪をしまくります)の背景のキャラクター(毎日、毎回、同じ役割をこなすだけです)のガイ(強盗に入られる銀行の受付係)が、恋することで自我に目覚め、成長を始めます。

 最終的には、ゲーム会社のオーナー(典型的な悪者キャラです)と彼にソフトをだまし取られた男女のソフトウェアエンジニアの戦いと恋愛が描かれているのですが、最大の見どころはモブキャラ(雑魚キャラ)が団結して自由な世界を勝ち取るところでしょう。

 映像とゲーム世界を融合させる新しい試みの映画かもしれません。

 

 

 

 

 すずばあちゃんは、村のあちこちに花の種をまきます。

 そのおかげで、村のあちこちに花が咲きます。

 そんな花々を、村の人たちは「すずばあちゃんのおくりもの」と呼んでいます。

 すずばあちゃんが、種をまくのには訳があります。

 戦争が終わって満州から引き揚げてくるときに、幼い赤ん坊を亡くして野端に埋めてきたからです。

 そして、そこに野菊を供えてきたのです。

 すずばあちゃんにとって、村に咲く花たちはその時の花の子孫のように感じられたのです。

 すずばあちゃんのまく花の種には、戦争のない世界への祈りが込められていたのでした。

 最上一平の抑制された美しい文章に、黒井健の描く花たちが幻想的に描かれていて、この絵本自体が読者へのおくりもののように感じられます。

 

 

 

 

 

 2011年公開のフランス映画です。

 スラム出身の黒人青年が、ひょんなことから、脊髄損傷で車いす生活を送っている大富豪の住み込みの介護人になります。

 慣れない環境や初めての仕事にも物おじしない青年のふるまいによって、絵にかいたような紳士と破天荒な青年という「最強のカップル」が誕生します。

 二人にとっては、それぞれ期待以上のもの(富豪は退屈な日常を脱却できましたし、青年はかなりの高収入の仕事とリッチな生活環境を手に入れます)を得られて、お互いにハッピーです。

 かなりご都合主義な展開(富豪は青年のおかげで文通相手と面会できますし、青年には絵の才能があることがわかります)もありましたが、障碍者の問題も深刻にはならずに、全体的に軽いコメディタッチで、エンターテインメントとして楽しめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今をときめく将棋の天才について、かつての将棋の天才が書いた本です。

 長い将棋の歴史の中で、中学生のプロ棋士(プロの四段になること)、つまり天才少年は、五人しかいません。

 第一号は、今ではヒフミンというあだ名の方が有名になっている加藤一二三で、18才で順位戦のA級(名人挑戦を競う一番上のリーグ)に昇級して八段になり、「神武以来(このかた)の天才」、つまり日本の歴史が始まって以来の天才と称されました。

 第二号は筆者で、21才でなった名人の最年少記録はいまだに破られていません。

 三人目は、ご存知、羽生善治で、当時のすべての将棋タイトル七冠(現在は八つあります)を独占し、その後それら七つのタイトルの永世称号(獲得回数や連続回数などでそれぞれ規定されています)を持っていて、永世七冠と称されています。

 四人目は、渡辺明名人(2021年現在)で、現在では名人と並び称される竜王を長年保持しました。

 そして、五人目が、ご存知のように藤井聡太元八冠です。

 そんな藤井聡太を、同じような境遇だった著者でしかわからない視点で描かれていて興味深いです。

 特に注目すべき点は、藤井聡太とAIの関係です。

 藤井聡太はパソコンを自作するなど、AIにも精通していることで知られていますが、著者の分析では彼の強さはAIで培われたのでなく、幼い頃からの実戦と詰め将棋(彼は詰め将棋選手権を小学校六年生から五連覇しています)と、彼の資質(記憶力、判断力、メンタルの強さ、無類の負けず嫌い、そして何より将棋が好きなこと)によるものであるとしています。

 それゆえ、藤井聡太の未来のライバルは、将棋を覚えたときからAIを使っているようなこれからの世代、AIネイティブであろうという筆者の予想は非常に興味深いものです。

 それと同時に、筆者も含む全プロ棋士に、藤井独走を許さないように叱咤している点も重要でしょう。それを実現するかのように、藤井元八冠より年下(学年は同学年)の伊藤匠二冠(2026年3月現在)が出現しています。

 

 

 

 若い人向けに書かれたイギリス児童文学の啓蒙書です。

 一般的な読書指導である「作者が言いたかったことはなんでしょう?」の一歩先にある、歴史的社会的背景などについて言及していて、興味深いです。

 取り上げた作品とそこにおいて述べられた事項は以下の通りです。

 マザーグース:子供の本の誕生に言及して、特に子供の本におけるナンセンスの持つ意味合い、特にそれがセンスを確立するために有効であることを指摘しています。

 ロビンソン・クルーソー:イギリス、アフリカ、中南米における三角貿易(イギリスから火器、ガラスのアクセサリー、綿織物などをアフリカに輸出し、そこで黒人奴隷を買い入れて中南米の荘園に労働力として売り、そこで生産された綿花や砂糖を買い入れて、イギリスへ輸入する)に言及し、物語が歴史におよぼした影響について述べています。

 クリスマス・キャロル:人々のクリスマスの楽しみ方に影響を与え、さらにクリスマスを楽しむことのできない底辺の人々(産業革命に取り残された人たち)にも目を向けているとしています。

 不思議の国のアリス:時間に追われている近代の人々と、それ以前の時間感覚について述べています。

 くまのプーさん:プーが良く落ち込む「穴」に、第一次世界大戦の影響を見ます。

 ライオンと魔女:善と悪について考えます。

 第九軍団のワシ:自分探しと異文化の衝突について考察しています。

 巻末には、原書の一覧や翻訳本についての解説もついていて親切です。

 さらに、もっと勉強したい人への啓蒙書の紹介もされています。

 この本を読んで、久しぶりにイギリス児童文学に耽溺しようと思わされるだけでも読んだかいはあります。