310 直木三十五 | 無無明録

無無明録

書を読むは、酒を飲むがごとし 至味は会意にあり

 直木賞は誰でも知っているだろうが、文学賞に自分の名を冠せられた大衆作家の直木三十五となると、知らない人もいるのではないだろうか。よく言われる言葉ではあるが、かく云うワシも直木の代表作とされる「南国太平記」くらいしか読んだことがなかった。

 この間、青空文庫で「死までを語る」と云う直木の自叙伝を読んだが、いや、実に破天荒な生き方をした人物である。「直木三十五伝」を著した直木の甥である植村鞆音(うえむらともね)さんが、著作「直木三十五 人とその文学」で直木について、こんな風に書いている。

「一風変わった作家だった。小心にして傲慢、寡黙にして雄弁、浪費家で稀代の借金王、口説きべたの芸者好き。すべてが矛盾だらけだった。」

 

 

 また、あるものにはこんな風にも書かれている。

「彼は誰もが認める無口な男だった。無口で、ぶっきらぼうで、無軌道で、ずぼらで、手が付けられないほど傲慢な男だった。だとすると、彼は人間嫌いで孤独癖の強い男だったろうと思うとさにあらず、人恋しくて菊池寛と共同出資で作った文芸春秋社倶楽部に住み込んでいたのである」

 

 直木三十五の執筆スタイル。蒲団の上に寝そべって書く。脊椎カリエスを患っていたせいかもしれない。怖ろしいほどの速筆で1時間に原稿用紙5枚から10枚を書いた。最高記録は15枚だそうだ。

 

 多分、面倒くさい男だったのだろうと思う。

 直木賞は、直木が亡くなった翌年の1935(昭和10)年に芥川賞ととも文藝春秋社の菊池寛によって創設されたが、芥川賞は、彼が昭和2年に亡くなっているから、死後8年も経ってから創設されたことになる。菊池寛は、1923(大正12)年に文藝春秋を創刊しているので、芥川が亡くなったときに芥川賞を作ることも可能だったはずだが、それをせずに、直木の死後に、直木賞と併せて芥川賞を創設した。菊池寛は、おそらく芥川に対するよりも直木三十五に対する友情の方が篤かったのではないかと思う。

 

 菊地寛。「恩讐の彼方に」、「藤十郎の恋」、「父帰る」などの作者として知られるが、文藝春秋社を創設したり、大映の社長を勤めたりした実業家でもあった。実に面度見がよく、売れない作家が文藝春秋社に金の無心に来ると、ポケットからしわくちゃの紙幣を無造作に渡してやっていたそうだ。菊池は、直木三十五の死後、遺児や老父の面倒もみている。

 

 

 菊池寛は、「直木が、直木賞を設置されたことを知ったらどう思うか」と問われ、「直木がそのことを知ったら、受賞者に、おい、賞をやったんだから分け前を少し寄こせ。なんて無茶を言いそうな気がする」と答えたそうだ。破天荒な直木をそのまま受け入れているように思える言葉だ。

 

 直木は、様々な事業に手を出しては失敗しているが、雑誌社運営で四苦八苦しているときに、菊池寛は、文藝春秋を発刊し、見事に成功させた。直木は、仲間から「天才的なプランメーカー」と云われるほど豊かな着想の持ち主だったが、自分でそれを軌道に乗せて行く忍耐力や実務能力に欠けていた。しかし、菊池寛にはそれがあり、菊池は、直木の献策を入れて新しい企画を次々に成功させていったそうだ。

 

 

 直木は、盛んに「文藝春秋」に雑文や随筆を書いた。文壇人を対象にした辛辣なユーモアを交えたゴシップ記事は、「文藝春秋」の呼び物になった。これには菊池寛も心底から感嘆の声を上げたそうだ。「あんなゴシップは、書けといっても誰も書けない・・・あれは天才だよ」直木は、雑文を書いて文芸春秋の発行部数を伸ばし、そして、自らの存在を文壇に認知させた。久米正雄は「大正12、13年の文壇は直木のものであった」とまで云っている。菊池寛にとって、直木はかけがいのない人物だったのだろう。

 

 文藝春秋に「文藝春秋執筆回数番付」なるものが、大正14年(文藝春秋創業3周年)と昭和7年(創業10周年)に2回掲載されたことがあるそうだ。西の横綱は、2回とも直木三十五で、東の横綱は、大正14年が芥川龍之介で昭和7年は武者小路実篤。このとき芥川は既に故人だったが、欄外に「張出横綱」として芥川の名前があるそうだ。芥川賞と直木賞は、文芸春秋に対する貢献によって設けられた賞なのかもしれない。 

 

 

 作家の村松友視が、1982(昭和57)年上半期に「時代屋の女房」で直木賞を受賞した直後に、椎名誠さんと東海林さだおさんと三人で旅行をしたことがあったそうだ。旅館の部屋でテレビをつけたら、丁度自分が写っていて、それを見た土地の芸者さんが「あ、この人、植木賞を貰った人だよね」と云ったそうだ。

 元々「直木」の姓は、本名の植村の「植」の字を二つに分けて「直」と「木」にしたものだから、この芸者さんもあながち間違いとは云えないかもしれない。

 

 

 

 

     無無明人