210 第11代内閣総理大臣桂太郎 | 無無明録

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11代内閣総理大臣は、長州閥の陸軍大将である桂太郎(53歳)。第1次桂内閣は、1901年(明治34年)6月2日から1906年(明治39年)1月7日まで続き、桂の在任日数は、1,681日だった。ん?これは過去最長じゃないか。





さて、日露を巡る状況は刻々と悪化していた。獰猛な帝政ロシアは、日本に向かって牙を剥いている。どうしたらいいんだろ・・・・明治政府の首脳は、ロシアと戦争をしても勝てる見込みはなかったから、戦争が避けられる方法を模索した。ロシアと直接話をつけた方がいいか、それとも、イギリスと手を結んでロシアを封じ込めるべきか。しかし、意見が対立し、両派ともに譲らず。伊藤博文は自らロシアの首都ペテルブルグに赴き、日露協商の可能性を打診した。また、外務大臣小村寿太郎は、ロンドンに訓令を発し日英同盟の可能性に賭けた。そして、結局、ロシアにとっては魅力のなかった日露協商は成立せず、日英同盟協約調印。





 ロシアに立ち向かうように、日本兵の背中を押しているのがイギリスで、その後ろのアメリカが傍観者を装いながら、成り行きを見守っているぞ。それぞれの思惑がある。これ、上手いな。



 その間に伊藤博文は、腹心の金子堅太郎を説き伏せ、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領のもとに向かわせた。戦争が長引けば日本は断然不利である。いい加減のところで手を打ち、日本に有利な形で戦争を終結させる必要がある。その仲介役をルーズベルトに求めたのだった。ハーバード留学時代にルーズベルトと面識があった金子は、ルーズベルトに常に接触し、戦争を有利に進めるべく日本の広報外交を展開した。





 さて、対露関係は日英同盟の圧力によって調印された露清満洲還付条約で好転したかにみられたが、しかし、何せ、相手はロシアだ。ロシアは依然として満洲に居座ったままだった。そりゃあ手放す訳がないわな。そして、ロシアは、満州で勢力を逞しくして、清国全体を踏み潰し、朝鮮を廊下のように渡って日本にやってくる。あぁ、おそロシア、おそロシア。





 これは開戦前のロシアの風刺画だったかな。こんな目にあわせてやるぞってことだな。


 日本首脳の焦燥は深さを増すばかり。事ここに至って開戦は避けられないか。ロシアは、満州にシベリア鉄道を建設しており、近々これを復線にすると云う話が聞こえる。そうなれば大量の兵力が満洲に送り込まれ、極東におけるロシアの地位は確固たるものになるのは間違いない。軍部は「速やかに帝国軍備の充実整頓を図るべし」と意見書を提出したけど、そう簡単にはいかない。一方で御前会議は、ロシアとの交渉継続を決定したが、その交渉も1904年に決裂。そして、遂に対露開戦の詔勅が発せられた。ああ、いよいよ日露戦争が始まってしまう。




 当時の日本の国力はロシアの十分の一だったそうだから、こんな感じか・・世界が成り行きを見守っているぞ。


 1903年の日本国家の歳出が2億6000万円。それに対し、1904年~1905年の間に20億円の戦費が実際に掛かったそうだ。これを賄うため、日銀副総裁だった高橋是清が駈けずり回った。政府は、旅順陥落・日本海海戦の勝利・戦後の復興と軍備拡張といった節目ごとに外債を発行し、これはイギリス・アメリカ、後にはドイツ・フランスも購入してくれた。戦時中に8億2000万円、戦後4億8000万円の外債を発行し、これはユダヤ財閥が引き受けてくれた。でも、これが日本を苦しめてしまうことになる。なんせ借金だからね。


 勿論、国内では増税と新税、更に国債の購入を強制して戦費を捻出したのだけど、この莫大な金をほかに使うことができていたらな・・・しかし、世界列強は帝国主義と云うより、弱肉強食の時代だ。目の間にはロシアが牙を剥いている。食われるのを待っている訳にはいかない。どうしても戦わなければならないんだな。そして、戦端が開かれ、いろいろあった訳だけど、と、まあ日露戦争の話は取り敢えずこれくらいで。


 桂太郎は、ニコニコしながらポンと相手の肩をたたいて人心を掌握しようとしたところから、ニコポン宰相のあだ名があった人で、商人のようだと評する向きもあったとか。しかし、こんなこともあったそうだ。


  ロシアに勝ったものの賠償金をとれないポーツマス条約を締結した外相小村寿太郎が帰国したときのこと。当時、日本は戦費が底をつき将兵も消耗して、戦争を続けられる状態ではなかったことを国民は知らない。賠償金も取れない弱腰外交の結果による講和条約と見た民衆は、あちこちで不満 と憤りの声を上げ、内乱の一歩手前の状態。民衆による日比谷焼き討ち事件などと云う騒動があった。





小村寿太郎の家族も危険にさらされたが、今度は小村本人が危ないと厳戒態勢が取られた。桂太郎は、小村を新橋駅まで出迎え、挨拶を交わし労をねぎらうと、同行した海相山本権兵衛と二人で、小村の両脇に立って、小村の腕を抱えて歩き始めた。「小村一人を見殺しにできない、やられるなら我々もろともだ」と云う気構えを示したんだな。山本権兵衛どんは元より、桂太郎さんもやるじゃないか。




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