58 土方歳三最期の謎(一) | 無無明録

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書を読むは、酒を飲むがごとし 至味は会意にあり

 新撰組副長、榎本亡命政権の陸軍奉行並兼箱館市中取締頭取の土方歳三は、明治2年5月11日(新暦6月20日)の午前10時頃、現在の函館市若松町にあった「一本木関門」において銃弾を腹部に受け、死亡。享年35。

ところで、土方歳三の最期の場面は、小説などでは、一本木関門で敵陣に単騎突撃し、狙撃されて斃れると云うものが多い。しかし、土方歳三と云う男が、戦略もなく、ただ単騎突撃するだけのアホな男だったとは思えないし、第一に指揮官がそれじゃあ部下は誰もついていかないだろう。


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島田魁が書き残した「島田魁日記」によると、この旧暦5月11日の時点では、島田を始めとする新撰組本体は、函館半島から函館湾に突き出た「弁天台場」に孤立・籠城を強いられていた。そして、土方は、五稜郭本陣から島田ら新撰組を救出に向かう途上で銃弾に倒れたのだと云う。


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官軍迫リテ郭下ニ来ル、我軍二百余人砲台ニ籠ル。郭側ノ民家ニ火ヲ放チ、官軍攻ムト雖堅ニシテ不動ヲ知リ敢テ是ヲ侵サルナリ。然ルニ土方歳三馬ニ跨リ彰義隊、額兵隊、見国隊、杜陵隊、伝習士官隊合シテ五百余人ヲ率テ炮台ヲ援ト欲シ、一本木街柵ニ至リ戦フ。已ニ破リ異国橋近ク殆ド数歩ニシテ官軍海岸ト沙山トヨリ狙撃ス。数人斃ル、然ルニ倦ム色無シ。已ニ敵丸腰間ヲ貫キ遂ニ戦没、亦我軍進テ攻ムル不能、退テ千代ケ岡ニ至ル。(島田魁日記)



 つまり、この日「土方歳三は、単騎ではなく、500人余りの手勢を率いて、五稜郭本陣の防衛線でもある「一本木街柵」を越えて「弁天台場」へ向けて進軍し、「異国橋近ク殆ド数歩」というところまで至っていたが、そこで官軍に狙撃されて、戦没」とあるものの、討死した具体的な場所は分からない。


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前述したとおり、このとき、島田は「弁天台場」に籠城しているので、日記に書いてあることを実際に目撃した訳ではない。島田は、函館政府総裁榎本武揚の降伏後、陸軍奉行添役として土方歳三に従う立場だった大島寅雄から土方の最後の状況を聞いたとされているが、やはり伝聞情報の域を出ないだろう。


しかし、この日の市街戦に実際に参戦していた元肥前唐津藩士の大野右仲が「箱館戦記」を残している。大野右仲は、箱館戦争当時は大島寅雄と同様に陸軍奉行添役だった。その手記「函館戦記」は、1943年に刊行された「小笠原壱岐守長行」(私家版)の一部として世に出たそうだが、ごく少部数の発行だったため、余り存在を知られることはなく、したがって、一連の「新撰組もの」にもその内容が反映されることはなかったようだ。その後、1973年に同書が再刊されると、土方歳三の最期を伝える貴重な史料として、大いに注目を集めることになったと云う。


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その「箱館戦記」によれば、当日、大野右仲は、陸軍奉行添役と云う職務ではあったが、終始、土方歳三に付き従っていた訳ではなく、「弁天台場」から援軍を求めて五稜郭に向かう途中、「千代ヶ岡陣屋」という場所で土方と遭遇したとしている。


千代岡に至れば、陸軍奉行兼函館市中取締頭取土方歳三の額兵二小隊を率ゐてまさに箱館を援けんとするに逢ふ。吾れもまた馬首を回らし、従ひて一本木の街柵に至る。


 その後、海戦を繰り広げていた榎本軍「蟠龍」の砲弾が新政府軍の「朝陽」に命中し、その光景を見た大野らは歓喜の声を上げた。そして、そのとき・・・・

 歳三大喝して曰く、「この機失すべからず。士官隊に令して速進せん。然れども、敗兵は卒(にわ)かには用ひ難し。吾れこの柵に在りて、退く者は斬らん。子(氏)は率ゐて戦へ」と。


これが、土方歳三の最後の言葉となった。土方の檄に呼応し、勢いに乗った大野らの土方隊は、攻勢に転じ、「官軍始め少しく退く」とあるが、しかし、間もなく総崩れ状態になる。大野は、「独り奉行の必ずこれを柵に留めんと思ひしに、皆柵を過ぎて行けば、また愕き、奉行と約せしは彼の如くになるに、これを留めざるは何ぞや」と思ったものの、やむなく「千代ヶ岡陣屋」まで退却して、そこで、土方歳三戦死の報に接した。

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土方歳三は、死の当日、「弁天台場」に孤立していた島田魁を始めとする新撰組本体を救出するために五稜郭本陣から、約500の手勢を率いて出陣し、土方一隊は、異国橋近くまで攻め入り、土方自身は、一本木関門で殿軍を務め、兵に激を飛ばしていた。そして、その土方を銃弾が襲った・・・・・その他諸説あるのだが、伝聞めいたものが多いので、ワシとしては、この説を採ることとする。



土方の死因については、以下のとおり、銃撃によるものであることは間違いない。


「已ニ敵丸腰間ヲ貫キ遂ニ戦没」(島田魁日記)
「亦一本木ヲ襲ニ敵丸腰間ヲ貫キ遂ニ戦死シタモウ」(立川主税「戦場日記」)
「跨馬して柵側に在りしに、狙撃せらるる所となりて死せる」(大野右仲「函館戦記」)



しかし、この銃弾は、どこから、何者が撃ったものなのだろうか・・・・。これにも大いに疑問が残るんだな。





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