御油宿
赤坂宿
どうする家康は終わったが、私の推し活は終わらない。
光る君へもちゃんと見てるよ!
私の中での平安時代は 「なんて素敵にジャパネスク」 くらいの知識しかないがとりあえず平安京には城も東海道もないので横に置いとく。
新年一発目は東海道 御油 ・赤坂宿を巡る街道ウォーク。
今年は愛知県内の東海道宿場町制覇を狙うぞっ‼️
さて御油・赤坂なんて生まれてこの方行ったこともないし駅で降りたこともない。
見所は、松並木と集団自決した飯盛女のお墓、そして広重の浮世絵に描かれている現存のソテツ。
しかし当日は雨。
予報ではそのうち上がるはず…
だったが…
一里塚やイチビキの本社前を通り過ぎて
松並木では小降りどころか完全に雨!
美しいハズの松並木も写真撮る余裕なし!
ちなみに東海道にちょいちょい見られるこの松並木、何里ごとかに作られている。旅人が日陰で休憩できるように、と、家康が(幕府だったかも?)命令して植林させたとか。やっさっし!
そして飯盛女さんたちのお墓に着いた途端 どしゃ降りに!こっこりゃ涙雨…?
飯盛女は貧しい農村から売られてきた若い女の子たち。旅籠に置かれ借金に縛られ、給仕の後に身体も売らされていた。当時は伊勢参りと言いつつ売春ツアーが流行っていたそうだ。いつの時代も悲しい女性たちは存在する。
入水自殺を図った彼女たち。
普通なら墓すら入れて貰えないが
旅籠の主人は彼女らを可哀想に思い、最高級の花魁にしかつけられない戒名を彼女らにつけ、丁重に弔ったという。ちなみに高級花魁の戒名って頭に「傾国…」って付くんだって。傾国…?
それって仏教的には良い言葉なのかなぁ?楊貴妃しか思い浮かばないが。
明るいだけの東海道ではなかった。裏ではこんな悲しい話もあるんだよ、と語る先生。
次!
広重の東海道五十三次の浮世絵の一枚にソテツの木のある旅籠が描かれている。
そのソテツが現存するという!
ソテツは近くのお寺(浄泉寺)に移植されている。
デカイ…。でも樹齢とか見ても良くわからんけど…😭
そのソテツがあったといわれている旅籠、大橋屋は旅館として2015年まで現役で営業していた。いまは資料館になっている。うわー!泊まってみたかったなァ
なんと明治天皇も立ち寄ったことがあるそうな!
ここには親切なおじいちゃんが詳しく解説をしてくれた✨
靴を脱いで上がってみたが、みんな靴下がびしょ濡れなので足跡がそんじょそこらに…💦
建物そのものが貴重な文化財!
そして、浮世絵のイメージ通りにソテツが復元されていた。雨が降り込む中、板戸をわざわざ開けて下さったスタッフさんありがとう!
とにかく雨だとモチベーションが落ちるし、かなり見学地も早足、あるいは はしょったんじゃないか
とも思われるけど、ウォーキングは天気に左右されるのは仕方ない。
予定よりだいぶ早く終了してしまったが、解散した途端に雨が上がった。やはり飯盛女さんに歓迎されてなかったようだ。興味本位だけで行ってごめんなさいと心で手を合わせた。
次回は本宿、藤川宿ウォーキング
だんだん地元に近づいてきた‼️