今の世の中野菜炒めが嫌いだ、と言ったら
「好きな人を批判している!」
「農家の人の気持ちを考えろ!」
と本気で言う人が一定数いる。
この無駄な拡大解釈がどうやったらできるのか、私には未だに理解できない。
自分が好きじゃない=好きな人を否定している
こんなデタラメな方程式をどこで習ったのか。
今野菜炒めで例えたが故に、理解しにくかったかもしれないが、これが思想や人に置き換わると途端に過激化していく。
テレビやネットでの炎上を見て同じようなことを感じた人は多いのではなかろうか。
話の要点を掴む、大切なことだ。
だが最近はありもしない要点を作り出し、被害妄想を膨らませそれを元に人を叩いている人を多く見かける。
憶測は勝手だが、信じるのは言葉の範囲内でなければいけないのではないか。
本来誰も傷付く必要もない会話で勝手に被害妄想をし、攻撃し被害者を生み出す。
何とも報われない話だろう。
その有り余る想像力で自分の幸せな未来でも創ることができれば、不幸の数は減るはずだ。
心配ご無用。
目が合って言われたことだけ気にすればいい。