xさんで、ある高校生さんの投稿に、平敦盛のこと書いたけど、まちがって、父親の平経盛と書いてしまった。とんでもないミス・テークである。

 

平家物語が授業で取り上げられたそうだ。さっそく訂正文を書かせていただいた。

 

平敦盛とされる画

 

 

1184年 一の谷の戦いで源氏と平家の合戦。

昨年のNHK大河では描かれなかった、那須与一や熊谷次郎直実などの逸話を取り上げようとしたのだ。

 

平清盛の弟である平経盛の末子である平敦盛(たいらの・あつもり)。

 

平家の一門としてわずか17歳にして、源平合戦の一の谷の戦いにて劣勢になった平氏は、海上の船に逃げようとした。

馬上の敦盛も同様に避難しようとした所、熊谷次郎直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう」と言われ、敦盛は踵を返して直実に向かっていくが、馬上から落とされ、直実が首を切り落とそうとする寸前に直実は躊躇する。

 

 

 

我が子と同じ年ごろの敦盛の顔を見て、戸惑ったからである。

 

直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛はそれに答えず「そなたにとっては手柄なるぞ、言わずとも首を取って誰かに尋ねよ。すみやかに首を取れ」と言い放ち、直実は涙ながらに首を切ったという。その逸話が元になっている。

 

そして、熊谷直実(なおざね)は敦盛の父経盛(つねもり)に笛を送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面などが「鎌倉本」に描かれている。

 

幸若舞の「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、一度生を享け(う)滅せぬもののあるべきか」は余りに有名である。

 

織田信長がよく舞ったという。

 

1184年3月20日 元暦元年2月7日に没した実在の人物である。

 

旧暦と太陽暦の違いがある。

 

 

 

しかし、日本のみならず、文明・文化が進歩すると、なぜこうも戦があるのであろうか。

 

人種・宗教を越えて、平和な時代は訪れるのであろうか。

 

人は、未来に行っても、為政者の欲望にきりがないという事であろうか?

 

 

 

ま、滅亡の道をひたすら歩んでいるとしか思えぬが。