プーチンが目指すもの、それは相当過去を遡のぼらなければならないだろう。

 

歴史的にノルマン人(バイキング)が8世紀、スカンジナビア半島からデンマーク地方に居留していて、12世紀ごろまで西ヨーロッパへと南下していく。

 

 

 

 

ゲルマン人、アングル・サクソン人、ショート人、サクソン人ー彼らは親戚みたいなものだ。

 

そもそも、20万年前にアフリカに出現した現生人類は、世界各地へと散っていく。クロマニョン人、その前がネアンデルタール人とローデシア旧人、ハイデルベルク旧人など、第三氷河期あたりから人類の枝分かれが頻繁になってきた。

 

未来にいくほど、宇宙創成、地球の歴史、生物の進化など、様々な事象が科学的に証明されていく、という皮肉さがある。

 

現在の科学で、炭素の分析により、何億年前かの恐竜化石などの年代さえも分かる時代である。発掘された人類の頭骨やら当時使用した器具類も、分析装置にかければ、たちどころに時代が判明してしまう時代になりつうある。

 

科学的分析による『証明』ほど確実なものはないであろう。

 

そのうえで、ノルマン民族のうちスウェーデン人はバルト海の奥から黒海に向かい、9世紀ころヨーロッパ・ロシアに入った。

彼らの首長ル―リックは862年にノブゴロドを都として公国を建てロシアの起源を形づくった。

 

ノルウェー人の一部は北海方面にすすみ、アイスランドとグリーンランドを発見してそこに居住し、デンマーク人とノルウェー人の別の軍団はイギリスやヨーロッパの中心部に侵入して、西ヨーロッパの各地に定住した。

9世紀から10世紀にかけて、軍団は西フランクに侵入してパリを攻撃してルーアンを占領した。時の王シャルルは彼らの侵入に手を焼いて、911年にノルマンの首長ロロと和を結ばざるを得なかった。

有名な、カール大帝は768年にフランク王国で即位しているから、約150年経ってからの話である。

 

ちなみに、日本ではこの時代、752年に東大寺の大仏開眼などが行われている。

701年大宝律令発布、奈良遷都。702年古事記成る。

 

9世紀のなかごろ、中世のロシアの地方都市、キエフの町を中心とするキエフ王国があった。今はキーウと呼び名が変更されたが、元は東スラブ族の一種族ポリャーニンの部族国家から起こった、という説が有力である。

キエフの町はドニエプル河によってビザンティンと貿易を行っていた、ノルマン人によって征服された。ノルマン出身のノビゴロドの公は9世紀の末に、ドニエプル河の上流・東方の地を併合してキエフに都を定めた。

以来、キエフはロシア最古の大都会として、また東方キリスト教会の中心として、コンスタンティノープルにつぐ、繁栄をしめした。

 

ノブゴロド王国など、スラブ、フィン系の諸種族がル―リックによって征服され、879年に彼は没したが一族のオレーグに息子幼小イーゴリを託し、キエフ王国を創建している。

 

つまり、プーチン大統領は、そこまで歴史を遡らせても、自己の主張する歴史的正当性への回帰を目指しているのではないか、という考え方。そこに強い執着を感じるのである。

 

まるで、放追されたユダヤの民の苦しい約2000年の歴史を見るようである。

 

 

どう決着するか、まるで先が見えない・・・

 

が、私の本音である。