まあ、平成から令和に時代が移り変わって、昭和のころに受けた教育、特に道徳という教科は全く意味をなさなくなってしまった。

 

男らしくとか、女性らしく、といったあの教育はどうなってしまったのか・・・

 

いたずらして、教師から嘘のいいわけすると「男らしくねえな」

と、コツンとゲンコツくらったもんだ。

 

バレバレの幼稚な弁解や嘘を言うと、あとで厳しいおしおきが待っていた。

 

だから、こちらも学習して、割と正直に自白した。

 

男性には結構きつめの教育だったかもしれない。

 

おいらにとって、学校とは、遊びに行く場所だと思っている。

 

だから小学、中学とほとんど勉強しないで遊びほうけていた。

 

それが、中学卒業して日産に就職するつもりでいたが、就職試験で落ちてしまい、高校に行くことになった。それでも受け入れてくれる高校もあるもので、私立の工業高校に合格してしまい、進学せざるを得なくなった。

 

 

 

しんちゃんみたいなおバカのおいらも、この高校の凄さよ。

 

「お前らは馬鹿ばかりだから、小学生の算数や国語などを高校1年でみっちりやるぞ」

 

担任の教師の開口一番の言葉である。

 

何が分からないのか、本人も分からない。

 

割り算すらできなかった。

 

それがこの高校のおかげで、すっきりして、勉強が面白くなってきたのである。

 

で、2年間浪人したけど、日本大学法学部新聞学科と青山学院法学部と、明治大学政治経済学部の政治学科に合格できた。

 

結局、一番学費の安い明治大学に決めた。

 

時期もよかった。

 

早稲田大学の大隈講堂の隣に当時早稲田ゼミナールという予備校があって、そこに3年も通学した。もう暗記するくらい問題集をやりきって3年めの春、試験が記述式からマークシートに変更になった年。

 

おいら、ほぼ満点であった。

 

苦手の英語。4,5問から選択するだけ。

 

筆記する必要などなく、そこにもう答えが書いてあるから鉛筆で〇をなぞるだけでいい。

 

早くそうなって欲しかったよ。

 

ちなみに、東京大学などの問題も9割ほど正解だった。

 

国立は理系の物理、数学Ⅱ、化学などもあったから、合格は難しかった。仮に受験して合格しても卒業は無理であっただろう。

 

明治大学は、一人でも卒業させてやろうと、色々便宜をしてくれた大学。

 

感謝、感謝である。

 

で、何を思ったか、おいら3年生で教職課程を履修。

 

教育実習したけど、やってみて教師になど向いてないと分かった。

 

やはり男らしくなかったからである。

 

やはり教員は男らしく、女性らしくが一番だと思ったのである。