東京に住んでいて、東京のことを知らない人が多い。

 

実は自分も、詳細を知ったのは、つい最近のことである。

 

1868年(明治元年)7月17日に施行されて、江戸から東京府になった。それが東京都になるのは1943年(昭和18年7月1日)からである。

 

現在、大阪府で住民投票で大阪都構想があったが結局否決されてしまった。つまり大阪府と大阪市という二重行政をやめよう、ということなのだが、東京も東京市と東京府の二重行政問題の解決のために東京都となったのである。

 

何が問題であったかというと、「権限や行政効率化」の問題や、当時は太平洋戦争真っただ中で、戦争遂行上の問題があったからである。

 

まあ、これ以上書くと、戦争問題にまで発展しそうなので、折あらば書きたいと思います。

 

で、親父のことなのですが、戦後、帰国して兵士から民間人になるわけだけど、まあハチャメチャな若いおバカな生活を送っていた、と、生前自分自身で語っていたので間違いないでしょう。

 

東京は小金井村に生まれた父が、青年団に入っていたとの事で、当時副団長をしていたとのこと。団長さんはのちに小金井市の市長になられる星野平壽(へいじゅ)さんという方。

 

父親が定年退職をして10年ぐらい過ぎたころ、体調が悪くて武蔵境にある日赤病院にマイカーで送るときに「お、あれは星野じゃねえか」と小金井庁舎の近くで指をさしました。

 

第七代の小金井市長さんで、1981年に女性同伴出張問題で市議会の厳しい追及にあって、同5月8日付で辞職されました。

 

辞職されて10年以上過ぎて、なおかつ相当外見も変貌されているのに、何十年も過ぎて思い出す父親の記憶力に唖然とさせられました。なおかつ、病院に向かう車中で、若きころの武勇伝を語る父親に『どうかしてるぜ』と、血はあらそえないなと思う事柄を平然と話す父親。

 

府中市に「暗闇祭り」というのがあって、少々どころか、相当やばい危険な祭りがありました。今は相当平穏になっているけど俗に「喧嘩祭り」として悪名を轟かせていました。

婦女暴行あたりまえ、喧嘩で死人まででる始末。

おいらが高校生くらいのころは、絶対行かないように、と、皆が口々に言っていたくらい。

 

時代が昭和から平成になったころから、祭りも相当変化したみたいです。

 

そんな親父と星野元市長さん、たぶん女性同伴問題など、屁でもなかったと思われます。

 

 

このころだと思われる親父の写真。

 

 

 

ちなみに、親父と同じ歳のころのおいらの写真。

 

大学のサークルで秩父のキャンプではしゃいでいました。

 

あーよきかな、青春時代

 

はーーーーー   \(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?