象の花子、と書いてもほとんどご存じじゃない方が多いと思う。
東京の三鷹市になるのか武蔵野市なのか私にもよく分からないが、JR吉祥寺駅を降りて、徒歩7、8分の所にある井の頭公園の道を隔てた、井の頭自然文化園の象舎で飼育されていたメスの象であった。
1947年にタイ王国で生まれ、そののち日本に寄贈された。
1949年9月に上野動物園にやってきて、その後1954年3月5日に井の頭自然文化園に移ることになった。
1954年、昭和29年のことである。
つまり、私が生を受けたと同じ年に、象の花子がやってきたのである。
おまけに、私の生まれたアパートと象舎とは100メートルも離れていなかったのだ。
当時の我が家の暮らしは決して楽ではなく、ほとんどの家庭も同様で、病院で産声をあげる子は少なく、ほとんどがお産婆さん、つまり今で言う助産婦さんいや助産師さんか、のお世話になっていた。
貧しい家庭はほとんどがそうで、たいていの子は自宅で生まれていたのだ。
玉川上水が流れており、当時のアパートの南2.30メートル離れた所にむらさき橋があり、太宰治が入水自殺した場所として有名な場所である。
だから、井の頭自然文化園も井の頭公園も、あまりに日常にとけこみすぎて、2016年に象の花子が亡くなった時は、やっと自由になれてよかったね、という思いが強かった。
花子は2人の人を踏み殺してしまっている。
1956年6月に、閉園後の象舎に無断で侵入して花子にちょっかい出して亡くなられた、ご近所に住む40代の機械工だかセールスマンだか忘れたけど男性。
1960年は飼育員さんが踏み殺されてしまった。
鎖に繋がれ、狭い象舎の敷地。花子は相当なストレスがあったのだろうな。
その後、人殺し象として有名になってしまって、というより悪名が広がって、心無い入園客から石をぶっつけられたりしたそうである。私自身が見たわけではないので、真実はわからない。
昭和26,7年のころの結婚前の親父とお袋の写真である。
一番右がお袋。
井の頭恩賜公園が正式な名称である。
でこちらが6,7年前だろうか、平成の井の頭公園の噴水。
私の生まれ育った地元は実に世間を騒がせてくれる街である。
三鷹事件というのがあって、電車が脱線させられたというもの。当時は大騒ぎで、親父も事故現場を見にいった、と生前なんども言っていたのを覚えている。
意外と知られていないのが、「路傍の石」の作家山本有三氏がむらさき橋のほんの30メートルほどしか離れていない場所に住まわれていたことを知る人が少ないことだ。
現在は記念館になっている。
母方の祖父・祖母が、井の頭公園の近くで畳屋をやっていた。
信州安曇野の出で、曾祖父はある藩の城代家老をしていたとのこと。
母親の旧姓が鵜飼という変わったものなので調べてみたが全く分からなかった。
なんだか、象の花子のことよりも、近くに住んでいたということだけの話になりそうだ。
2年前に自然文化園にいってみたが、なぜか胸にぽっかり穴があいてしまったような感覚があったのだけは確かである。