いよいよ、9月からのひとり生活の練習!って感じの。朝ジム行って、帰宅して...息子が残して行った洋服もあるけれど、いやいやひとりだと洗濯物も食洗機も溜まらない... 色が白に移らないシート使って、白い物も一緒に洗うようになるんだろうなあ。

 

息子たちの部屋の掃除したり。お昼食べてから、納豆仕込んで、今日はお友達がランチに来るので、その準備...していたらLIINEが鳴った!

 

げ!最初の会社の後輩男子...ビデオ。電話は伏せる😂 

「え!ビデオなんだけど?!」って言うけど、ちょっとアラカンのすっぴんは無理!しかも懐かしい後輩男子4人。先日、私の同期とこちらで会ったけれど、みんな繋がるのです。すごく仲の良かった会社。そりゃ新卒の頃から比べたらみ〜んなそれなりに歳を取ったけれど、相変わらずノリが良くて。少し話して「また日本でね〜」ありがたい。

 

さて

 

 

先日ラジオで確かきたろうさんが「有名人が遺した死についての言葉」みたいなのを話されていて。面白いなあと思ったのが

 

「アインシュタインは、死とはモーツァルトを聴けなくなるという事だ」とおっしゃったのですが。本当にアインシュタインがそう言った、言わないって議論はあるみたいですが、ポイントはそこでなくて。スタジオにいた人たちが

 

これを聞いて「モーツァルトがもう聴けなくなる、というくらい、死とは残念な事」←みたいなお話。はっきりと言葉は覚えてないです。

 

と感じた人と

 

「モーツァルトが聴けなくなるなんて大した事ではない、それくらい死も大した事ではない

 

と感じた人がいた事。

 

私は芸術全般に疎いというか、美術も音楽も美しいなとか、素晴らしいなとは感じるものの、そこまで入ってくるわけでもなく.... とは言え、私は前者の感じ方だったわけです。

 

 

なんでもそうだけれど、小さな頃からの経験や感受性で、物の見方や価値観に感性が培われていって。そこには、ひとそれぞれ、100人いたら100通りの考え方があって当たり前なんだわ、ってあらためて思いまして。

 

 

近所にあるお店。先日、会った同期もそのお友達も音楽やる人たち。

彼らにとってみたら、きっとモーツァルトを聴けなくなる=死とはそれくらい悲しい事、なんだろうな。この写真、彼らにLINEしておきました。ギターってスペインで生まれたもの(これも諸説あるらしいけど)なんですってね!だからスペインはギターも有名だそうです。知らなかった。

 

さて、ランチの準備をしよう!