2005年の夏
初めて乳がんと診断されてから
手術までの事を覚え書きとして。
入院、手術の予定が決まった。
いよいよ家族、子どもたちに伝えなければならない時が来た。
病院からの帰り道、いろんな事が頭に浮かんできて、涙が溢れてきた。
気を取り直して、帰宅。
子どもたちは二人仲良くパソコンに向かって、ゲームをしていた。
私は、できるだけ明るく
「お母さん、入院するかも!」と言った。
子どもたち「なんでー!」
私 「うーん、もしかしたら癌かも!😅」
あまりにも明るく言い放ったので、子どもたちもそれほど深刻には受け止めてなかったと思う。
義母にはなかなか話を切り出せなかった。
年末に義父を亡くしたばかりの我が家にとって、良い知らせではないので、どんな風に切り出して良いのか、、、
子供たちに促されるように義母に伝えられたのは午後9時を過ぎた頃だった。
それから数日後、病院から連絡があり、入院日が決まった。
当時は仕事をしていたので、社長に事情を説明し、休暇をもらった。
以前、勤務していた事務員さんも乳がんで若くして亡くなられた事も聞いていたので、私の不安は増大した。
子どもたちは夏休みで、部活やスポ少の事、食事や洗濯、、、義母がしてくれるとは言え心配だった。
自分の親が近くに居ない事が辛かった。
8月4日入院
大学病院への入院も初めてだったので
戸惑う事も多かった。
その時、いろいろ教えてくれて、親切にしてくれたのが、癌友だったOさんだった。
(2017年8月永眠)
彼女は大腸癌から肝臓に転移して、すでに5度目の手術を控えていた。
入院後、早速いろいろな検査が待っていた。
8/4 CT
8/5 MRI、呼吸器
8/8 採血
8/9 採血、尿検査
8/7の夕方に主治医よりカンファレンスを受ける。
主人と部屋に入るとCTやマンモの写真が並べられていた。
細胞診の結果は「癌」
大きさは1.2mm
ステージ2aで、温存手術可能
脇のリンパ節にも転移あり
手術中にしこりの部分脇の細胞を調べて転移部分の確認、切除範囲を決める事など
術後の治療法についても説明を聞いた。
あまり頭に入って来なかった気がする。
乳がんは術後何年経っても再発の危険がある事や、これから抗がん剤や放射線、ホルモン治療などを受けなければならない事の説明があった。
病室に戻り、夫が帰ると不安でいっぱいだった。
そんな時、
「泣きたい時は泣いて良いよ!」とOさんが言ってくれて、今まで我慢していたものが一気に溢れ出た。
ありがたかった。
それからは、少しずつ不安も消えていった気がする。
つづく