2005年の夏

初めて乳がんと診断された当時の
事を

覚え書きとして残します。


1週間後、病院からTEL

検査の結果が出たので明日来て欲しいとの事

「勿体ぶらないで教えてよ!」と心の叫び

翌日、平静を装いつつ外来に向かった。

何故か、「急患」の部屋に通された。

Dr.はカルテを見ながら
「検査の結果は5段階の3でした。でも、私の見る限り癌の可能性が高いです。ただ、この病院では乳がんの場合、全摘手術しかできないので大学病院に紹介状を書くので早めに行って欲しい」との事

運良く、翌日の予約が取れた。

「悪性」、、
また頭の中が真っ白になった。

折しも世の中は
「がん制圧月間」の真っ最中

新聞の見開きにも
大きく記事が載っていた。
健康な自分だったら
目にも止まらなかったかもしれない。
それからは、毎日のように
「がん」の文字が視界に飛び込んで来た。

翌日、大学病院へ向かった。
夫も一緒に行こうかと言ってくれたが
今回は、一人で行くと断った。

まだ、癌と決まったわけじゃない
そう思いたかった。

長い待ち時間だった。

名前が呼ばれて診察室に入った。

優しい顔のDr.(助教授)

紹介状、マンモの写真を見ながら
「なんて言われて来たの?」

私は、先日のやりとりをそのまま話した。

今回はさらに詳しく検査するため
太い針で刺して生検するとの事

その後、Dr.は
「良性でも悪性でも手術しましょう。」と言った。

たぶん、悪性である事は確実だったのだろうと今は理解できる。

入院すれば優先的に検査できるとの説明を受け、ちょうど子供たちの夏休み中に手術、退院できることを確認して予約を入れた。

つづく