人類の偉業
ウィンストン・チャーチルはこう言った。


「新聞を読む時に、私はスポーツ欄から読む。そこには人類の偉業が描かれているからだ」
 

実にいい言葉だ。前人未到の新記録に到達したという瞬間に立ち会えるなど、誇らしいことである。
 

だが、本当に日本でも、そうだろうか。
 

国際大会でしばしば取り上げられるのは、日本人選手の活躍である。
 

新記録を樹立した選手が、どこの国で、どんな人なのか。その偉業を称えるということは、日本の報道ではあまりなされない。
 

日本人選手がいくつメダルを取ったのか。どれだけの投資(実際には声を張り上げて応援した程度)をして、いくらメダルという形で戻ってきたのか。収支報告みたいな、ケチくさい感覚で、選手を見ていないか。東京オリンピックなど、その傾向が顕著であったものはない。
 

日本がいかに世界を驚嘆せしめたかと、自画自賛したくて仕方がなかった。記録映画と題されたものがそれを如実に語っていた。(ナチス政権下のドイツか)
 

スポーツ報道は、こと日本に限っていえば、かなりやばい。胡散臭いという意味だ。全然、すごくない。

スポーツの力という呪術
読売巨人軍のオーナーだった人がこう言った。
 

「日本を元気にするためには、巨人軍が優勝することである。日本経済のため、日本の発展のために、巨人軍は必要なのだ」
 

わお、おまじない。
 

どこかの球団が毎年、優勝している。
 

その地域では、一瞬バブルになっているだろう。だが、それによって日本が長い不況のトンネルから出たことが一度でもあったのか? 巨人が優勝したから、日本が経済不況を脱するというのは、はっきりいって妄想のレベルである。
 

だが、こうした呪術がしばしば罷り通る。


元気になれば、経済が明るくなり、なぜか社会が良くなるというのだ。どんな問題があっても、問題を直視せず、ただ気力があれば、いつの間にか解決しているというのだ。
 

なんか、童貞のアレみたいな、独りよがりな妄想臭くないか?
 

元より、景気がよくなったところで、全てが解決するのであれば、バブルの頃に社会問題はなかったことになる。経済至上主義者は忘れっぽくていけない。
 

スポーツが社会に与える影響は大きいが、それで社会の問題が解決されると信じているのだとしたら、やはり原因と結果を正確に認識できていない。お札を燃やしたから、雨が降ってきたと信じるようなものだ。

シャープ兄弟VS力道山
悪役レスラーのシャープ兄弟を、力道山は空手チョップで倒した。
 

その試合中継をみんなが見て、興奮した。敗戦国のコンプレックスを跳ね飛ばすきっかけになったという。
 

戦後史の美談である。
 

ただ、シャープ兄弟はアメリカ人ではなく、カナダ人であったこと。
 

弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木が、後年、一切口にしていないことから分かるように、力道山は興行師として有能であったが、我々が期待する「スポーツで人格を育成する」ような人柄ではなかったこと。
 

これらは現実には語られにくいが、事実である。
 

日本中が熱狂したというのは、いい話である。だが、何一つ解決していないことから、目を背けてはならない。

社会問題から目を背ける
大谷翔平の活躍について、報道が加熱していることに対して、違和感を感じる人は少なくないだろう。
 

いい話を作ることに関しては、報道機関は類稀な能力を発揮する。真実? そんなもので飯が食えるか。日本を元気にできるか、だ。
 

大谷をみろ、アメリカであんなに評価されているではないかというのなら、分かる。

 

だが、だからといって、世界が日本に驚嘆しているという結論からは程遠い。
 

世界で最も競技人口が多いのは、インドのクリケットであるし、その次はサッカーである。
 

野球自体が世界ではマイナースポーツなのだ。
 

アメリカで評価されていることに対して、極端にしがみつくのは、やはりシャープ兄弟を倒した空手チョップを、いまだに夢見ているのではないか。むき出しのアメリカコンプレックスである。
 

ゴジラ-1.0がアカデミー賞を受賞したが、その発表時には、タイトルとともに、「kyoto」「shibuya」などと関係ない地名が呼ばれる。昨年2023年のキー・ホイ・クァンがシカトされる。驚くほど黄色人種に対する差別があるのに。我々は喜んで、それらを無視して、トロフィーを受け取り、賛辞に酔う。ウィル・スミスなら殴っていただろうに。
 

まだ進駐軍に、チョコレートやガムを投げて欲しいのだろうか。

スポーツ報道の前科
思い出して調べてみた。
 

ハンカチ王子こと斎藤佑樹選手(2006年)。
 

ハニカミ王子こと石川遼選手(2007年)。
 

第一次安倍内閣がまさに2006年から2007年である。
 

美しい国日本とか、グレート・アメリカ・アゲインみたいなことを先に言っていた割に、お友達内閣と揶揄されていた。小泉内閣では訪朝を実現し、拉致事件解決を推し進めると期待されたのに、何一つ解決されなかった(現代も未解決である)。
 

2007年の衆院選で敗北し、体調不良を理由に辞任している。
 

政局が不安定な時に、メディアがこぞって、(お節介にも)日本人を鼓舞しようとする時に、簡単に使えるのがスポーツなのだ。
 

北朝鮮のミサイルよりは安全だが、スポーツが国威発揚に使われ、現実問題から目を背けるために用いられているのだとしたら、当のアスリートも心外だろう。
 

人類の偉業とは程遠い、スポーツ報道には気をつけるべきだ。