風水グッズの閉店割引セール

 

例えるなら、こういうことである。
 

風水グッズを販売している店がある。その店の目玉商品は金運上昇のアイテムが充実していることだ。
 

ところが、業績が悪く、ついに閉店セールとして、あらゆるグッズが半額で販売されていた。
 

そんな店で、半額でグッズを買うだろうか。
 

答えは誰だって、ノーだ。
 

風水という、超自然的な事柄に対して、専門家であることを売りにしていたのではないか。そのための風水グッズなのではないのか。その目利きができない店が選んだグッズなど、どれほどの価値があるのかと。
 

商品を売ることに、説得力がない。こんな店は信用できない。購入しない。
 

当然のことである。

資本主義の最重要なこと
 

資本主義において、もっとも重要なこととは何か。


利益ではない。資金でもない。需要を見抜く能力とか、そういう設定情報ではない。
 

もっとシンプル。信用である。


信用して、されて、初めて契約が成り立つ。
 

割引を宣伝しておきながら、それが一部商品だけという実態があれば、次からその店が割引を喧伝しようが、二度と足を運ぶことはない。信用を失ったからだ。
 

利益よりも大切なものは、まさにこの「信用」である。

国際ルールに怯えた30年
 

消費税を導入される際、自民党はまともに議論せず、議席が多いことを生かした、いつもの数の暴力をもって、強行採決した。
 

社会保障のために、財源が必要だという主張であった。
 

3%という世界的にまれにみる低い税率に、世論もそんなもんか程度であった。
 

ところが、それから三十年を経過して、社会保障は拡充したかというと、低空飛行のままで、高齢者介護に関しては、慢性的な人材不足である。なぜなら、労働に見合った給与が払えないから。
 

待て、それらを補填するための消費税ではなかったのか?
 

違った。
 

法人税が減税され、その補填に使われたのが消費税であることは、今や明らかになっている。
 

自民党は我々の祖父母や、両親を盾にして、脅し取り、その金を大企業にくれてやっていたのだ。
 

そんなバカな。
 

日本企業は戦後の焼け野原を復興させ、無条件降伏からたった三十年で世界第一の経済大国にまで、のしあがることができた、逞しさを持っているのではないのか。
 

その後、四十年まともに成長せず、国がまけてくれた法人税をもって、ほそぼそと先細りの経済をやりくりしていたなんて。
 

九十年代初頭、日本は国際競争の荒波に打ち勝つために、強くなるのだと焦っていた。
 

銀行が相次いで倒産していく中で、製造業までも倒産しては、日本の資本主義社会が回らなくなると怯えたのだ。
 

その結果、自民党を支持して、消費税で法人税を補填してもらい、生き残った。
 

その間、国際競争力をつけたのか?
 

これも、ノーである。
 

現代、製造業の性能表示に不正があったり、創業者家族が不正な会計処理を行なっていたりと、犯罪のレベルすら素人レベルであることが相次いで判明している。
 

国際的な競争力云々ですらない。現状維持すらままならない、脆弱ぶりなのだ。
 

資本主義を万能視するのは、いい加減やめないか?
 

かつては利潤を出すことが、社会発展にもつながるというロマンが語られていた。ところが実際は、アメリカ人がドン引きするくらいの官製談合が行われたり、不正会計など、小手先の操作でごまかしている、こずるい詐欺行為が、この国の資本主義の根底にある。
 

資本主義全体を否定するのではない。
 

我が国の資本主義自体を、万能だと信じるには、あまりにもしょぼくない? という話だ。
 

若者の転職率が高いのだとしたら、それこそ、日本企業が長らく求めてきた「人材の流動化」ではないか。どこにいっても、まともな職にありつけず、企業するとか、いかにもアメリカのようではないか。
 

東芝の開発部門が、海外に譲渡されるというニュースがあった。
 

すわ、日本の製造業の凋落が始まったと思った。
 

ところがどうなったか。
 

譲渡された結果、業績を伸ばしたのである。
 

つまり日本人経営者の元では、赤字であったものが、外国人経営者の元では黒字になったというのだ。
 

まずい。
 

日本人経営者とは、松下幸之助のように、庶民生活を熟知して、社会貢献と業績を解決するカリスマと期待していたのに。実際は組織をうまく導けず、経営を外国に任せないといけない素人だったなんて。
 

日本の資本主義には何にも期待しない。
 

なぜなら、資本主義といいながら、国から守られて、のうのうと生きながらえているからだ。それって、社会主義経済じゃないの? 本当に「信用」できる商品作ってる?