正しいことを貫きたいとか、正義のために力を尽くしたいって、最初司法界に入る人のうちたぶん5割くらいは、真剣にそう思ってる気がします。
ちょっと買いかぶり過ぎですかね🤣
例えば、あなたが今何らかのトラブルで関わってる弁護士や裁判官も、本当はそう思ってた人かもしれないし、少なくとも本人は、今でも自分は正義の人だと思っていたりします。
僕も、ずっとずっと正しくありたい、せめて仕事だけは徹底的に正しくありたいと願ってきました。
でも、僕の考える正義が本当に正義だと言える根拠はあるでしょうか?
そうだよ、一弁護士の正義とかマジであんただけの正義で、世の中の正義とはズレてっからー笑
そうそう、その辺の弁護士が大して世の中も知らずに、ガキみたいな正義を語っても世の中の正義からズレてるから逆に迷惑なんだよねー笑
という意見があるでしょう。
それと全く同じ論理で、世の中を仕切っている人たちの正義論も、裁判官たちの正義論も、本当に正しい保証はないのです。
この現実を知ることはとても辛いです。
だから、そんな人たちや世の中の人たちそれぞれの正義論がどうあれ、生きる理由や生きていける確信が必要なのです。
あなたが本気で信じる正義が、この社会全体の正義とは違うと思い知らされても、どうか挫けずに、逆に、どうか自分だけが正しいと思い込まずに、出来るだけ客観的に、出来るだけあなたらしく生きる道を探しましょう。
世の中の裁きや、世の中の評価はそれほど当てにならず、僕ら個人の判断もそれほど当てにならないのです。
だから、何が正しいかを裁き続ける生き方をちょっと手放して、今味わえる素晴らしいことを、真剣に味わい、それが決して普通にありふれたことでないことに気付きましょう。
ありふれたことじゃないから、それを有り難いと言います。
いつ災害に遭っても、いつ病気や事故に遭ってもおかしくなく、いつ死んでも文句が言えないのに、今まで何日無事で生きられたか。
ましてや、ただ生きられただけでなく、自分が得た能力、運、縁、仕事、人間関係、家族、友人、空気、水、食糧…など、もし何か自分の力で獲得したわけじゃないのに恵まれたものがあるとしたら??
あなたがどんな現状にあっても、どんな環境にあっても、それに気づいて感謝したり、幸せを感じることだけは、誰にも自由に平等にチャンスがあるんだと思います。
その気になった人には、誰にも何にも邪魔されず、今すぐに出来るんだと思います。
だから、人は誰も幸せになれるチャンスが与えられているというのは、そんなに間違ってないのかもしれません。