自分勉強用
























































































































































































































































































































































































































































2025年12月22日 乙巳年 戊子月 乙丑日



学びの展開が速い。

整理する。




10年間の大運テーマが

調舒星から鳳閣星にかわり

様々な気に呑まれやすくなっていた。


「おおらかさ」を身につけるには

清濁合わせた様々な気に対処する力が

必要なのだろうとは思っていた。


それで

肝心な要素を忘れていた。


調舒から鳳閣にかわるのと同時に

現実力量が

天報星から天馳星にかわっていたことを

すっかり見落としていたのだ。


「胎児」から「あの世の魂」へと

変わっていたのだ。


「馳ける」如く

展開が速いわけだ。


しかし、

現実を生き抜く精神力には

力量が少な過ぎる。


そして年運は

禄存、天極星だった。


虚の精神力では

清濁合わせた現実に向き合うにはしんどいわけだ。


おまけに

私には大半会と行動領域の広さがある。


ここのところの不調は

精神が膨大な虚に広がり過ぎて

空中分解寸前の状態だったのだろう。


纏まりのない

ぼやけた居心地の悪い精神世界の中にいた。




と、

氣付けたのも

ご縁のお陰様だ。


神社で変な気を拾って帰ってしまってから

ぼやけた居心地の悪さの中で

取れない何かを感じていた。


それで、

ご縁あってある石達を迎え入れることにした。


ある石との縁が出来てから

やっとモヤが晴れた。



その石の力は

指先まで血流が巡ることを感じた。


邪気に負けない体力づくりを

手伝ってくれるかのようだ。


その子の力をかりて

大日如来様とお不動様のご真言とともに

貼り付いた何かを剥がし焼き尽くした。


それに私の生活リズムにはいらない

自分に合わないモノも

教えてくれた。


そして

もう一つの石とのご縁を紹介してくれた。


この石は

この漠然と広がった

私の精神世界のしがらみを切り開き

方向を示してくれるような子だ。


クリアな精神的視界が開けて

氣持ちが冴えわたり

やっとモヤが解けた。



石達は不思議な力を持つ。






多くの植物達が

身体の氣の巡りを整えてくれる。


一方で、

多くの石達は

霊的精神の氣の巡りを整えてくれるようだ。


生薬が

生命の漢方製剤というなら、

力を持つ石達は

魂の漢方製剤と呼べるだろう。


そのどれもが効能を発揮するとは限らない。

良品であるほど良いからだ。



その力は、

滞るものを除いて氣を流してくれたり、

余分なものを取り除いてクリアにしたり、

大丈夫だよと陽氣を浴びさせてくれたり、

表で発揮するもの、裏で発揮するもの、

その石その石で効能はかわる。


その見えない

霊的精神を動かす氣に

名前が付いているとするなら、

これを「紫氣」というのかもしれない。



もちろん

霊的精神も身体も

薬に頼らず、

普段の生活の中で

その人なりの調整を身に付けていく必要はある。


でも、

自分では対処できなくなる事があれば

その時は

紫氣の力をお借りすることも必要だろう。


この力は

お世話になっているご住職様が

発揮される力によく似てる。


この氣はおそらく

人本来には在った氣の作用なのかもしれない。





頭で考えるだけでは

氣の感覚を薄めてしまう。


でも、

頭で考えて

事に注意を焦点化して

氣を巡らすと

いろんな作用が起こることに氣付く。


このバランスが大事なのだろう。








先日の復習



格法


学びを進めていくと

「占ってはいけない人」というものにも

出くわす。


知らない頃は

なんと仰々しいと思ったけど、

「いけない」と言うよりも

「意味がない」の表現の方が適切なのでは?と

感じることがある。


人に限らず生命体は

自然の氣を吸い取って誕生する。


その時の氣の特徴が

衝動性となる氣質となって潜んでいるにすぎない。


その衝動性をどう扱うのかは

その人自身に委ねられている。


幸せだと感じる感覚も

その扱い方に委ねられているのだ。


実態が主体で理論は副次的にしかすぎない。


理論を補助にして、

氣の扱い方を

環境と行動と認知の調整とで

良い塩梅を探れるといいね。





地風升

澤水困


昇進する時も困難に合う時も

いろんなパターンがある。


それでも共通する事は

貞しく謙虚に誠実にいることだろう。


どんなに上り調子でも

どんなに苦しくても、

想いあがらず、腐らず、諦めず、

進む道を誠実に向いていることが大切だ。


物事が動き出すその時のために

己を整えて準備していくことが必要ね。




そのために

魂魄と身体を整えて

つくりあげていくことが重要だね。