悲しい奴 主として叙述用法の形容詞ですが
なぜ、評価するのか。
知りたい。理解したい。
自分以外のものを知りたい、自分以外のものを理解したい・・・とすれば、たとえば「それは好き」「あれはキライ」というのも、知りたい理解したい欲求の個別の完結の第一歩、といえなくもない・・・オレ、何言ってんのかなぁ
「おまえは悲しい奴だなぁ、おまんの顔など見とうもないわぁ」
「あなたにそれを言われるのもまさに光栄というものです」
こんなくだらないやりとりをネットに乗せるのはそもそも電磁の無駄遣い、とは思いつつ・・・
口にしなければならないんでしょうかねぇ、キライな相手なら接触を避けたらいいんじゃないんですかねぇ・・・って、それはそれで「後ろ向き」との批判が予想されますが。だから、だからですよ、いちいちそういう評価を口にしなければならないんですかねぇって・・・循環循環循環循環循環循環・・・
酒飲みに行って、いい加減酔って、挙句にこういうことがあると時間と酒そのものが無駄になったように感じてさらに怒りが・・・いや、どっちかというと情けなさを感じるね。
感じられるだけ、まだマシってことで、自分内部で合理化。
ヘイフィーバー
ほんとうに、筋トレ久々・・・それに、なんだか「たしなみ」みたいなお手軽さで・・・
スギ花粉はとっくに終わってるのに、鼻がグスグス、咳も出れば微熱も続く・・・カイシャでは「結核じゃなかんべな?」などと新型インフルエンザへよりずっと現実的な疑いを受けながらすごしておりました。
軽いじんましん(もう、10年程度のお友達ね)もずっと続いているけど、ジムで筋トレなんて「幸せだなぁ」(とでも思わないと)
見たいんだよ、今も、そしてずっと将来も
うらしまたろう そう、日々、わたくしはたろうであるのにちがいない・・・
車も売った、バイクも潰した・・・ママチャリだけが俺の言うことをきいてくれる今となっては行動半径がすっかり縮んでしまっているから、仕事で時々この町の丘や郊外に社用車で移動するとき、なんだか本当に自分がプチうらしまたろう(我ながら意味不明だが)になったような気がする。
今日、社用でちょいと丘に登ったら、卒業した(はずの)学校に真新しい研究棟が建っていたり、地下鉄新線の工事で土盛りが、そして掘削が、と、高度成長期の勘違いがまたぞろ復活したような光景になっていましたとも・・・。
自家用車がないから、地下鉄新線が開通したら地下鉄で来てみよう。それまで生きていなきゃなぁ