こんにちは!

お元氣ですか?

 

suzumeです🐦

 

さて...

 

最近、感じることの一つに、

 

若い世代の神社仏閣への関心の高まりというものがあります。

 

若い方の神社参拝がとても目立つようになったな...と感じるのです。

 

和多志が神社参拝を始めたのはだいぶ遅く、

 

30歳を過ぎた頃から様々な神社仏閣を巡りましたが、若い世代は少なく(家族連れくらい)御歳を召した方たちの参拝がだいぶ多かったように思います。

 

ですが、最近では、

 

お友だち同士やカップルで参拝に訪れる方が非常に多いと感じるのです。

 

御朱印帳がカラフルになったり、スタンプラリーのような感覚で御朱印巡りをされている方もいるようで、神社仏閣を巡るということを楽しまれているように感じております。

 

 

 

 

神社仏閣に親しまれることは良い事だとは思いますが、少し、違うかな?という風にも実は思っていて...

 

そもそも、神社参拝をするのは、なぜでしょうか?

 

「神々のいらっしゃる神聖な場所に詣でて、日頃の感謝をお伝えすること」

「人間社会の有象無象から離れて、神々のご神氣を感じること」

「自分自神の神聖さに氣づくこと」など

 

神社仏閣という場所は、ただお願いをする場所ではないと思うのです。

 

詣でる際に、

 

・どのような歴史のある神社なのか?

・御祭神はどなたがいらっしゃるのか?

 

せめて、この二つくらいは知っていて欲しいなと思います🥺

 

詣でる際の必要最低限のマナーというか、お作法というものを知らないのかな?

 

...という風にも感じますし、それは和多志自身いつも氣をつけていることでもあります。

 

神様はお参りをする方がどのような心持ちでこの場所へいらしたのか、ちゃーんと見ております。玄関を出る時、もっと言うと、身支度をしている時からすでに、参拝は始まっていると言ってもいいかもしれません。

 

「今日は〇〇神社へ行くから、身なりを整えて行こう」

「お腹が空いているけれど、お参りしてから頂こう」

 

など、神前において、粗相のないようにと考えて参拝する。

 

そのお氣持ちは必ず神々に届きます。

 

神様のお声を届けて下さる【月と神秘】さまも、次のように仰られております。

 

・神社に私欲のエネルギー(念)が落ちている

・自分さえ良ければ、あの人よりも綺麗に

・私欲の願いを神様は叶えられない

・玉依姫様は全ての願いを聞いて判断して下さっている

・叶えたとしてもお礼参りにくる人が少ない

・当たり前のことができていない

・自分の知らない所でお世話になっている

・日々の有難さに対して感謝している人少ない

・人間として常識的なことができていない

・神様は本来のチカラが発揮できていない

・念や穢れが神社にたまっていく

・貪瞋痴のエネルギー

・貪(とん)→貪り「もっと欲しい」

・瞋(じん)→怒り「感情的になる」

・痴(ち)→無知「知らない」

・魂の声どころか心の声が閉じている

・ココロがない=慈悲がない

・心が閉じていると神様と繋がれない

・神様の御断りもなく写真を撮っている

 

※和多志は中々神社に足を運ぶことが出来ない方の為に、神社のご神氣を感じて頂きたくて、”聖地巡礼vlog”の動画を制作しているのですが、その際は、神様に「御撮りしても宜しいでしょうか?」と、御断りしてから撮るようにしております。

 

 

 

 

 

綺麗になることがいけないのではなく、

 

「自分が綺麗になることで笑顔が伝染してみんなが幸せになりますように」

 

など、自分の幸せのみならず、周りの幸せを願うことが大切です。

 

お願いがなくても「今日は天気がいいですね」など...

 

感じたままをお話しすれば良いのだと月と神秘さまは仰れております。

 

和多志は神社参拝において、お願いはほとんどせず、報恩感謝のみをしてきました。

 

正直、何をお願いすれば良いのかわからなかったので^^;

 

ですが...

 

最近は、きちんと自分の思いを神様に伝えるようにしております。

 

今、自分は何が大変で、どのようにしていきたいのか?

 

神社参拝は、客観的に自分自神をかえりみる良い機会でもあると思うのです。

 

「大丈夫!」

 

「大丈夫!」

 

「あなたは愛されている!」

 

「あなたは必要とされている!」

 

形式ばかりを氣にして、ココロが伴っていない方が多くいらっしゃるように思います。

 

正直、形式などはどうでもよく、神様はお参りにきた人のココロを見ております。

 

初めて参る神社では、特に、

 

・(住所)から参りました

・(名前)と申します

・(生年月日)生まれ

・(干支)

・この神社に鎮まります神々様(又は、〇〇様)、弥栄ましませ、弥栄ましませ ※3回繰り返す

・ご縁があり、御前にご挨拶させて頂けますことを心より御礼申し上げます

・(現在の状況で困っていること、それに対してのお願いやお話などをする)

・本日は本当にありがとうございました

 

このような感じで、丁寧にご挨拶をしております🙏

 

時間がかかってしまうので、様子をみて、端にずれたり、人が少ない時などにご挨拶するよう心掛けております。

 

妄信すると、人目も氣にせずに熱心に取り組まれる方もいますが、人として最低限の常識は守るようにしたいものです。

 

何度も足を運んでいる神社で、住所から始めようとすると、神様に「わかっておる」と御言葉を頂くこともしばしば^^;

 

「〇〇様、今日もご挨拶に伺いました~」とお話すると、「そうか、そうか、よくきたな」「ゆっくりして参れ」と労いの御言葉をかけて頂いたり...神様は見えないところでいつも和多志たちに寄り添って下さっているのがよくわかります。

 

”氣持ちは必ず通じます”

 

然しながら、ココロから求めないと、ご神氣というものを感じられないのも事実です。

 

苦労は買ってでもしろ

 

...というのは、そういった意味もあるのかも知れません。

 

和多志も、

 

人生のどん底を経験したからこそ、目に見えない存在を意識するようになったのですから。

 

初めは藁をもすがる思いで神様を求めましたが、半ば、半信半疑だったと思います。

 

神様なんて本当にいるのかな?

 

とも思いましたし、当時は何も感じることはできませんでした...

 

ですが、

 

奇跡を目の当たりにするようになって、体感として神様の存在を感じられるようになり...

 

その思いは、確信へと変わっていきました。

 

長い人生の中で、

 

時にはココロが神様から離れる時もありましたが、それでも神々は、和多志が再び戻ってくることをただただ待っていてくれていたように思います(神々の愛の深さに涙がでてきます)。

 

本当に有難いです😭

 

これからもこんなはしくれものの和多志ではありますが、皆様に少しでも神々のエッセンス(波動)が伝わるように、自分にできることを精一杯していきたいなと思っております。

 

昨日は、寒川神社に行ってきたのですが、一氣に春の陽氣になりましたね。

 

折れかけていた水仙をお持ち帰りしたのですが、とても良い香りでココロ癒されます。

 

 

 

 

自然と共に、

 

神々と共に、

 

弥栄の道を歩んで参ります✨

 

今日も最後までお読み下さり、本当に感謝致します。

 

今日という一日が素晴らしい日となりますように...

 

地球と宇宙に愛を込めて🌍🌌💖

 

 

シャンティマントラは、魂に響くので...

宜しければ是非聴いてみて下さい😊