お久しぶりでございます、私大事務員Sでございます。

 

さてさて、自らの勉強と同業者との交流を目指して始めたこのブログ、

舌の根の乾かぬ内に更新をさぼり、最後に記事を書いてから10か月が経ってしまいました。

この状況下では全く信憑性がありませんが、マメに更新したいとは思っております。

 

さて、この10か月で世の中が一変してしまいました。言うまでもなく、新型コロナウイルスの流行です。これに伴いほとんどすべての大学においてオンライン授業が行われ、新入生は友達の顔も見ないまま学生生活に突入したことでしょう。

 

私たち社会人ですら、緊急事態宣言が出たときは「これからどうなるのだろうか」と言う不安に襲われました。いわんや学生をやです。このままオンライン授業を続けるのか、現在進行形で不安に襲われているでしょう。

 

一方私は財務を管轄する部署に勤めておりますので、はっきり申し上げて授業についてはよく分かりません。どういう雰囲気なのか、授業の質は担保されているのか、教員側の不満や改善点、学生側の不満や改善点、良かったところ悪かったところ、そういった現状が肌感覚で理解できておりません。

 

別の仕事をしながら現状を肌感覚で理解することは非常に難しいとは思うのですが、自らの勉強を目的に始めたのがこのブログですので、引き続き学びを深めつつ記事を作っていこうと思っております。

 

一からのスタートと言うような感触ですが、引き続きよろしくお願いいたします。

私大事務員Sと申します。こんにちは。

早速更新が途絶えてしまい大変申し訳ございません。実はただいま教習所に通っておりまして、先日仮免の検定だったんですね。一応勉強しなければと思い、代わりにこちらの更新が疎かになってしまいました。

ちなみに検定の結果は、無事仮免交付でした。普通に合格できましたので、オチはございません。

 

 

さて、今回お話する内容は、前回までとはちょっと異なります。

皆さんは、ピーター・ドラッカーをご存じでしょうか。

まあ現代において知らない人はいないんじゃないかと思われる有名な方ですが、この方は経営学者であり、マネジメントの発明をした人と言われています。

 

マネジメントとは何か、というと、一言では大変申し上げにくいので、ぜひWikipediaの経営管理論のページをご参照ください。

↓経営管理論とは

https://ja.wikipedia.org/wiki/経営管理論

 

この人の著書に、非常に有名なフレーズがあります。

 

そう、「選択と集中」です。

記事のタイトルでネタバレしておきつつ、なんとここまで引っ張りました。

 

この「選択と集中」については、昨今様々な議論を呼んでいるようでして、ヤフーとかグーグルで調べると、賛否両論様々な意見があります。しかし今日はその辺の立場の意見については置いておいて、「選択と集中」とはなんぞや、何が良くて何が悪いのか、ということをお話していきたいと思います。

とはいえ私は学生時代会計学専攻で、経営学をそこまで詳しく勉強したわけではありません。少々ずれたコメント等もあるかとは思いますが、そこは温かい目で見ていただけると助かります。

 

 

さて、「選択と集中」とは何かと申しますと、「自らが得意とする分野に焦点を当て、集中的に資本を投下することで、経営効率や業績を高める」という経営手法のことです。

 

概念的な定義だけでは分かりにくいと思いますので、簡単な例え話にしてみましょう。

ここに、AさんとBさんというサラリーマンがいるとします。

Aさんは、ひと月の間に契約を100件取ってくることができますが、事務処理は苦手で、ひと月の間に20件の案件しか処理できません。

Bさんは、ひと月の間に契約を10件しか取ってこれませんが、事務処理は得意で、ひと月に110件の案件を処理することができます。

この二人に仕事を割り振るにあたり、契約と事務処理はどちらにどのように割り振れば、得られる利得が最大になるでしょうか。

 

答えは簡単で、Aさんに契約を、Bさんに事務処理の仕事を割り当て、苦手な仕事は割り当てません。こうすることで得意なことに集中できるようになり、お互いが苦手な仕事をするよりも生産性を上げることができると考えられます。

 

組織を運営するにあたり必要な資本は、金、人、情報、時間、材料など、多岐にわたります。しかもそのどれもが有限であり、限られた資本をどのように投下していくかを考えることが経営の基礎になります。資本を投下しても成果が得られない、いわゆる不採算事業については、終了させるなり売却するなりして手放し、利益が出やすいであろう事業に資本を投下する、というのが「選択と集中」の基本的な考えになります。

この考えそのものは非常に合理的で、得意な事業や軸としたい事業が明らかになっている場合は、そこに集中することにより利益が生まれる可能性が上がると考えられます。ここまでが「選択と集中」によるメリットになります。

 

 

しかし、当然ながらデメリットもあります。

・特定事業に特化することにより、特化した業種の変動を受けやすくなる

・集中すべき事業をそもそも間違える危険性

・有用な人材が流出する危険性

などのデメリットが考えられ、失敗に終わる可能性もあります。真偽のほどは分かりませんが、「選択と集中 失敗例」で探すと、企業の実名入りで失敗例が沢山出てきます。

 

デメリットを分かりやすくするため、先ほどの二人のサラリーマンを再び例え話にします。

Aさんは契約を取ってくることが得意なので新規契約に専念してもらい、Bさんは事務処理が得意なので事務処理に専念してもらいました。

しかし、IT技術の進歩により事務処理が自動化され、事務処理をするサラリーマンは要らなくなりました。そうするとBさんは、自分の得意分野を、外的要因によって活かすことができまくなります。契約の仕事を、苦手だけど克服できるよう頑張ればよかった・・・と思うかもしれません。

 

この例は、先ほど挙げたデメリットの一つ目に該当します。特定の事業に特化するということは、その事業や業界に逆風が吹いたとき、組織が受ける影響も強くなるという危険性を持っています。

 

 

以上が、経営学専攻でない私がまとめる「選択と集中」のメリットとデメリットになります。

的を得ているか心配ではありますが、少なくとも間違ってはいないと思います。

そしてここからは私の主観になるのですが、そもそもこの考え方って盲目的にいろいろなものに取り入れられるものではないと思うんですよ。

資本投下を集中できるときと、そうでないときと、どちらのケースもありうると思うんですね。

 

例えば、私は競馬はやらないのですが、10頭の馬がレースに出るとき、その中にディープインパクトがいたら多くの人はディープインパクトの馬券を買うと思います。なぜなら勝てる可能性が高いから。こういうときに、10頭すべての馬の馬券を買うようなことはしないと思うので(そんなことが出来るかどうかはさておき)、ここでは「選択と集中」って有効な考え方だと思うんです。ちょっとずれた考え方かもしれませんが。

 

一方で、研究分野なんかは特にそうだと思うのですが、どういうテーマが利益を生むのか全く分からないこともあります。こんな場面では、利益を生みそうなものがそもそも選択できませんから、「選択と集中」が有効でないと思うのです。

ゆえに、経営管理の手法を導入するにあたって、まず一番最初に「その手法が有効かそうでないか」を見極めることが非常に重要なのではないかと思うのです。

 

今回、こんなことを考えて記事を書いたのは、今教育業界に「選択と集中」という考え方が、「それが有効なのかどうか十分に議論されないまま導入され始めている」と感じているからです。

次回は、その部分について書いていきたいと思います。

 

内容が複雑なのでまた記事を書くのに時間がかかりそうですが、マメに更新できるようかんばってまいります。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは失礼いたします。

私大事務員Sと申します。こんばんは。

 

本日、11月20日はピザの日なんだそうです。なぜ今日がピザの日なのか不思議に思われますよね。ピザの日の由来はピザ協議会によると、ピッツァ・マルゲリータの名前の由来となったイタリア王妃マルゲリータが、11月20日に生まれたことに因んでいるのだとか。

ピザの記念日があることにも驚きますし、ピザ協議会という組織が存在することにも驚きますよね。

 

ちなみに私はピザならマルゲリータよりもアンチョビの方が好きです。

しかしこの情報についてはこの後の記事とは何ら関係がありませんし、そもそもピザの日自体今日の記事とは全く関係ありません。大変申し訳ございません。

 

 

それでは、本筋のお話に参りましょう。

前回までの記事では、大学職員のイメージと実際のギャップについてお話をさせていただきました。引き続きライトな話題かもしれませんが、今日は大学職員のやりがいについてお話させていただければと思います。

 

まず大学職員の仕事は、大まかに2つに分けることができます。1つは学生や教育にまつわる仕事で、もう1つは学校法人の管理・運営にまつわる仕事です。

私は経理部門での勤務経験しかないため、後者のやりがいしかお話しできません。とはいえ前者の仕事のやりがいについては、ネット上に比較的多く記載されているように感じますので、後者についてお話させていただきます。

 

学生や教育にまつわる仕事の大きなやりがいは、ほぼ全ての業務が学生支援に通じており、学生と関わる機会が多い、ということにあるかと思います。一方で学校法人の管理・運営にまつわる仕事は、最終的には学生支援に通じるのですが、その途中で所管の壁や教員と職員の壁を越えたりする関係で、仕事の先に学生がいることにあまり意識が向きません。

また、必然的に学生と関わる機会は少なくなります。

 

しかし、管理・運営側が決めなければいけないこと、やらなければいけない仕事は、学校法人にとって非常に重要です。

 

例えば大学のキャンパス整備。

 

魅力あるキャンパスを作ることは、志願者募集や在学生の満足度を高めるために重要です。一般的には、驚愕・事務部門のトップ(常務理事で組織される理事会など)の合議などで大まかな方針が決まるため、何もかも現場で決められるわけではありません。しかし示された方針や方向性の中で、一定の裁量を持って現場職員もキャンパス整備に関係しています。

大学のキャンパスや建物は、半世紀に渡り学生の学び舎として機能しますし、大学の広告塔としての役割を担うこともありますから、地図にも歴史にも残る大きな事業になるわけです。

非常に魅力ある仕事だと感じます。

 

例えば決算書類の作成や経費削減策の提案。

 

東証一部上場企業が決算日から一定期間内に有価証券報告書を作成しなければならないのと同じように、学校法人も決算日から一定期間内に決算書を作成しなければなりません。

これについては、訳の分からない数字とにらめっこしながら作っていくものなので、なかなか厳しい仕事です。人によってはやりがいがあるとは思えないかも知れませんし、そもそもやって当然であって、誰かから感謝される仕事でもありません。

しかし学校法人として運営する以上は必ずやらなければいけない非常に重要な仕事なので、そういった意味でやりがいを見出すことはできると思います。

 

また、経費削減策の提案もやりがいのある重要な仕事です。

学校法人の運営の原資は、学生からの学費や助成金(経常費補助金や運営費交付金等)から成り立っています。しかし現在では、国の財政難や社会情勢により、助成金や学納金を増やすことは非常に難しい状況です。つまり、一般企業でいうところの売上が、すでに頭打ちの状態になってしまっているのです。

そうした中で安定的に学校法人を運営するためには経費削減が重要な役割を担います。

この経費削減の提案ですが、他所管の領域に踏み込んでしまうケースも多く、そうした場合結構文句や嫌味を言われたりします。しかしその分、支出の減少という形で成果が上がると喜びもひとしおで、大学の運営に大きく貢献したと思えることもあり、この場合は大きなやりがいが得られるのではないかと思います。

 

キャンパス整備や予算・決算業務。これらの仕事は、学生や教育にまつわる仕事と比べて目立ちにくく、そのやりがいについて語られたり、そもそもやりがいなど持たれなかった分野でもあるかと思います。

しかし学生や教育にまつわる仕事とは別の形で大学の運営上重要な役割を果たしているのです。

 

もしかすると一般企業の事務と大差ないのかもしれませんが、個人的には、このような仕事のやりがいが周知されることで、学校法人の管理運営に携わりたいという入職希望者が増えることを願っています。

 

今日はこの辺りで。それでは失礼いたします。

私大事務員Sと申します。こんばんは。

 

今日は将棋の日なんだそうです。

私はやる方はあんまり好きではなくて、見ているのが好きです。

 

なんでやる方が好きでないかと言うと、小学生の頃クラスメイトの女の子と将棋をした際に、まあ小さい頃の話なんで手加減というものを知らなくてですね、ぼこぼこのめっためたにやっつけてしまったんですね。

そうしたら相手の女の子が怒りに震えてしまい、嵐が来て天地が嘶き、地球の自転が1日早くなるのではないかと言うほど怒りに怒り、子供ながら「女性を怒らせると恐ろしいのだなあ」と感じると共に、将棋をすることがトラウマになってしまいました。

だから将棋をやるのはあまり好きじゃないんです。

 

 

 

というのは冗談で、ただ弱くて、やっても勝てないからです。大変申し訳ございません。

ちなみに女の子を怒らせてしまったところまでは本当で、その後ひと月ほど口を利いてもらえなかった記憶があります。ただただ悲しい記憶です。

 

冗談はさておき、前回の続きを今日は書いていこうと思います。なんで急に冗談言いたくなったんでしょうね?

 

↓前回の記事↓

大学職員のイメージと実際のギャップ①

 

前回は、大学職員が持たれるイメージを3つに分けて、そのうち、いわゆるホワイト企業というところに焦点をあてました。今回は、専門性が求められない、というイメージとのギャップについて書いていきます。

 

まず最初に私が感じたギャップを端的に述べてしまいますが、

他業種で活かせるかどうかはともかく、専門性は求められている」と感じています。

 

そもそも専門性とは何か。実用日本語表現辞典によると、

「特定の分野についてのみ深く関わっているさま。高度な知識や経験を要求されること、またはその度合い。「専門性が高い職業でスキルを磨く」などのように用いられる。」

とあります。では専門性が高い、または高いと思われている職業とは何なのか。ネットで検索してみると、大体次のものが挙げられます。

 

 ・IT関係(システムエンジニアやWebデザイナーなど)

 ・医療関係(医師や看護師など)

 ・会計関係(公認会計士など)

 

また、一般的に専門性が低いと考えられているのは、やはりというか案の定というか、営業や事務系職種のようです。確かに、上に書いた職種のように、高い専門性が必要な業務ではないようにも思えます。

 

 

さて、ここから私個人の見解になります。

 

私は現在、経理部門に勤めています。日々のルーチンワークを行う上でははっきり言って専門性も何もありません。なぜなら、事務職において、定型業務が属人的になることは非常に危険であり、誰がやろうが一定のパフォーマンスを保てることが重要だからです。

 

例えば私が、ある作業をする上で、効率化のためにマクロを組んだとします。ここで私がマクロを組むためには、マクロについての一定の専門性が必要になります(ぶっちゃけ調べれば何とでもなりますが・・・)。

しかし私が心を病んだか車に轢かれたかなんかで出勤できなくなった場合、私が組んだマクロは、作業内容が周囲に理解されていないため、同程度の専門性を持った人が読み取ってくれない限りは、効率化する前のやり方で作業せざるを得なくなります。

つまり、誰か一人だけが専門性が高くてもあまり意味がありません。

 

 

ところが、これが定型業務でない場合、途端に話が変わってきます。

 

近年、学校法人にも情報公開が求められるようになり、教育の内容だけでなく学校の財務情報についても公開を求められるようになりました。しかし進学先を選ぶ高校生は勿論、その保証人である両親にも、学校法人の財務情報を的確に読み取る知識を持っている人は少ないのではないかと考えられます。上でも書きましたが、会計は専門性が高いわけですからね。

 

このような場合に財務情報を正確に伝えるためには、

学校法人の財務情報に関する知識」を持ち、

それを知らない人にも分かりやすく説明する能力

が必要になってきます。会計についての知識に加え、説明能力も必要になってくるということで、公認会計士ほど専門的ではないとは思いますが、それなりに高い専門性が求められる、ということがお分かりいただけるかと思います。

 

まあ正直なところ、この外向けの説明というのは随分前から行われているので、ある程度定型化されてきています。しかし、定型化されていない方向(例えば教職員向けなど)に対して理解度を深めるためには、いずれにせよ上の能力が必要となってきますよね。

 

このようなケースがあるため、最初に述べましたように、「他業種で活かせるかどうかはともかく、専門性は求められている」というように感じるのです。専門性が求められないのはあくまで定型業務であり、課題解決に取り組もうとすると、課題のレベルに応じた専門性が求められるのです。

 

他の部門に勤める同期からも同じような意見を聞くので、割と多くの大学職員がこのように感じているのではないかと思っています。他業種で活かせるかは分かりませんけれどね。

 

では、今日はこの辺りで。次回のネタは決めていませんが、また近いうちにお話しさせていただければと思っています。

それでは失礼いたします。

私大事務員Sと申します。こんばんは。

 

ブログを始めたは良いものの、勉強不足なため早速記事のネタに困っております。

家計簿をつけよう!と一念発起してみたものの、レシートのあまりの多さにどこから手を付けたら良いかわからない、というような感覚と近いでしょうか。

違いますね、きっと。

 

さて。今日は、大学職員のブログによく記載されている、イメージとのギャップを書こうかと思います。当然のことながら仕事のやりがいや大変さというのは配属先によって異なってきますので、あくまで個人的に感じるギャップをメインに書いていこうと思います。

 

まず、大学職員と聞いて多くの人がイメージするものは、

 ①いわゆるホワイト企業(休みが多いとか仕事が楽とか)

 ②お役所仕事で融通が利かない

 ③専門性が求められない

こんなところに集約されるのではないでしょうか。

 

あくまで私の個人的なギャップを書かせていただくのですが、②についてはその通りです。非常に多くの人が前例踏襲主義で、融通が利きません。私も恐らく同僚たちからそのように思われているのだと思います。その一方、①と③については当てはまらないと感じています。

それでは、ギャップを感じている①について、今日は少しお話させていただきます。

 

①いわゆるホワイト企業

休みについては、思っていたより少なく、取りづらいです。

最近は働き方改革など労務環境改善への追い風もありますので、有給休暇を毎年〇日取らなければいけないという運用も始まっています。始まっていますが、取ることとされている以上の休みをもらうことは難しいです。融通が利かず、やったことのないことにはとりあえず否定的ですので・・・

また、大学にはオープンキャンパスやら入試やらの土日を返上する用務も多いです。休日出勤した場合は当然振替休日を取ることができますが、振替休日ばかりが溜まったため結果的に有給を取れない、なんていう例も見られます。

また、担当業務によっては、ボランティア的に学生の面倒を見なければならないケースもあります。これはかなり労務環境的によろしくないのですが、土日に活動する学生の付き添いにも関わらず公務扱いになっていないことも散見され、改善の動きもなかなか見えてきません。

以上のことから、思っていたより休みは多くないと感じています。

 

また、仕事が楽かどうかということですが、マジメに仕事をしようとすると楽ではありません。

そりゃあ、去年と全く同じように仕事(それはもう作業でしょうけれど)するのなら楽だと思います。必要な願書などすべて去年と全く同じ日付で、な~んにも考えずに仕事を進めることもできなくはありませんし、そうやっていればいいと勘違いしている職員も多くいます。

しかし少子高齢化が進む現代で、去年と全く同じに仕事をしていればいい、なんてことはありません。大学に求められる役割は、国が抱える不安の数と同じように増えてきていますので、抱えている業務の効率化・省力化は喫緊の課題となっています。でないと、新しい業務に対応できませんからね。

 

民間企業と比べるとどうかと言われると、私自身も民間企業に勤めた経験はありませんから何とも言えません。恐らく大学職員のほうが楽なんだろうとは思います。しかし、世間一般で言われているほど楽なわけでもないなと感じています。

 

なんだかふわふわした記事になってしまった感じがありますが、今日はこの辺りで。

次回は、③専門性が求められないというイメージについてお話させていただこうかと思います。

それでは失礼いたします。