久しぶりに西成を訪問


※西成(釜ヶ崎地域)=別名あいりん地区


弁護士でタレントの橋下徹さんが首長時代に街の浄化にかなり力を入れた政策を展開、近年は万博の影響もあり、かなり治安が良くなったとのニュースも飛び込んでくる


ただ、つい最近この地域の報道(記事の巻末に引用転載)を拝読した事もあり日本最大のスラム街を訪問した。


到着したのは夕方


以前とは違った雰囲気で、コンビニの看板も多数見受けられる。


一昔前なら、暗い時間に歩くなんて身の危険を感じる街で、大阪在住の友人達と一緒でも緊張が走る空気感だった。


遡ること、数十年前…


まだ若い頃に仕事の出張で大手企業に1泊2日の研修を受けに行った事がある


宿を予約してなかった俺は、1日目の研修を終わった後に現地の友人と食事してその流れで空いている宿に泊まろうと言う目論見。


当時西成だと1500円も出せば超高級な宿のVIPな部屋にありつけた時代


もちろんインターネットや携帯電話など便利な物はない時代


寝るだけの安宿なら500円以内で泊まれると聞いていた。


1日目の研修が終わってから講師の女性の方が、今夜はどちらにお泊まりですか?との問いに…


俺…(宿を予約してないので西成のハウスかアパートをあたってみようと思いますっ!)


講師…(に…西成に…泊まるって本気ですか?)


俺…(はい、最高級の部屋でも1500円でお釣りがくると聞いてます…!)


講師…(西成に…泊まるのは絶対辞めてください…)


俺…(……)


講師…(朝起きたら、荷物無くなってますよ)


講師…(荷物どころか身ぐるみ剥がされます…)


畳みかける講師…(絶対に西成には泊まらないでください)


結局、忠告を受け入れその夜は西成には泊まらなかった。


当時は出張旅費で宿泊代が出るので、無理に安い宿に泊まらなくても宿泊手当がいただけた。


当時は大阪市内でも東京23区内でも安いビジネスホテルなら6000円〜7000円程度で泊まれたんだ。


ただ、10000円以内の宿に泊まれば領収書を会社に提出しなくてもよいので、安く泊まって浮いたお金で食事と少しばかりのお酒を楽しめた。


すなわち、1500円で泊まると8500円の飲食代のプレミアムが付く計算になる。


出張ってのは社則で近距離出張とか長距離出張とか細かい規定があって、基本的に国内出張だと手出しがあり損得勘定で言えば赤字になる


あと、平社員と管理職、役員とかの職位によってもそれぞれの手当てが変わる謎?のシステム


偉いさんだろうが、平社員だろうが同じホテルで差額があるわけないのに…


宿泊費以外に日当と言う手当てが出るものの基本、飯代が出ない


まぁ、出張に行ってても自宅に居ても、食事はするからね。


だけど朝、昼、晩の外食代ってけっこう嵩むんだよ。


当時の出張だけど、いま風の言い方で言えば品質確認の出張ってのが頻繁にあって、グループ会社での品質確認の出張ってのは窓際遊撃平社員の俺はほぼ毎回当選確実


※ 品質確認とは取引先に納入した製品を箱から出してひとつひとつ品質を確認する作業…別名…センベツと言う


取引先で不具合が発生すると、かなりの頻度で仕事中に今から出張に行け!って指令が出てた。


※品質確認のさらに上位グレードの出張には、さらに詳細な品質確認をする作業もあり取引先の完成され出荷された、または出荷待ちの商品を段ボール箱から出して、商品をバラして丁寧に品質確認をして元の商品に戻す作業もある…別名…カイコンと言う


※カイコン…漢字表記は開梱


身支度も何も無しに、日帰りのつもりで出発して何日も帰ってこない事なんてニチジョウチャメシゴトだった。


ニチジョウチャメシゴト…漢字表記は日常茶飯事


品質確認の第一駆け付けチームに当選すると、かなりの高確率でヒトジチに昇格する


※ヒトジチ…漢字表記は人質


基本的に上司とふたりで駆け付け対応に出発し、先方で対応を協議して、今後の対応の為に上司は帰社し、俺はヒトジチとなりセンベツ作業にあたる


規模にもよるが、後発隊が翌日以降に到着し普通ならそこで帰社できるタイミングだが…


作業や対応に慣れているとのことで、センベツチームのリーダー的な存在にオートマチックに昇格し帰れない日々が続く


チームリーダーになると作業以外に作業工数のカウントや本社への報告、残数の把握や代替え品の手配など様々特典が付いてくるシステム


大きなイベント?になると1週間〜2週間の開催期間となるし、後発隊は大人数が観光バスを連ねてやってくるが、後発隊が到着しても(ヒトジチが増える事ネ)、古株のチームリーダーはマツリの仕切り役として解放されない…


コンプライアンスやハラスメントなんて言葉や意識はなかったからね。


財布にお金も入ってないし、下着の着替えすら無い中で何日も帰れないんだよ…


びっくりするけど、そう言う時代だったね。


昭和〜平成の社会人時代


話しを戻そう…焦💦


あの時の講師が言うのも今の年齢になって良く解る


大手企業の研修会に参加して2日目になんらかの理由で出席できない事になれば職場にも迷惑かけるだろうし、取り引き先にも強く忠告したと言われるだろう



日本でダントツのスラム街 西成


平和な日本の中で唯一暴動が起きる街


暴動だよ…生で見た事ないよ


※この暴動とは民衆の騒ぎを抑える為にすごい人数の機動隊が出動して、放水車から放水して鎮圧するレベルの暴動


日本ではなかなか遭遇しない希少価値の高いイベント


そのくらい次元が違う街だった


30年以上の月日が流れた…


夜の新今宮駅




阪堺電車の駅


昔は停車場だったか?駅の名前も変わってる


今は新今宮駅前停留所


阪堺線って呼んでた記憶がある


これはアートか?落書きか?


確かこの停車場が暴動で放火されて全焼したと記憶してる



下記の写真では大通り沿いは普通の街に見える


右奥のタワーは大阪のシンボル 通天閣



あと、この街には比較的排気音が大きい二輪車の割合が高い


※排気音が大きい二輪車…通称 暴走族


大通りから街を眺めても、危険な雰囲気はただよわせていない


ただ…たまに金額が異様な看板が…


令和の時代の宿泊代にはゼロがひとつ足りないレベル……


桁違い…のホテル…



いや…


さすがに…


田舎者の俺には敷居が高くて泊まれない…


看板には玄人専門とか一般人お断りとかの表記があるとありがたいかな…


ちなみに、この日泊まった宿はこの3倍くらいの価格の宿。


しかしこの地域では高級なドヤ(宿)


別記事にて下書き中です♪お楽しみに🎵


土曜日の夜の宿泊としては梅田や心斎橋のネットカフェより安いと思う。


この周囲には沢山の宿(正式には簡易宿泊所やアパートを含)があり、この街がドヤ街と言われているのも、宿街(ヤド街)のヤドをドヤと逆さに読んだ業者用語からきている


参考

※サングラスをグラサン

※銀座をザギン

※六本木をギロッポン などの業界用語ね


ちなみに、暴動の原因のひとつかもしれないが、この地域の住人はマイホームを持つ方は少なく、アパートと言われるドヤとか公共施設に住民票をおいて日々仕事や生活を営んでいる


ガード下や軒先などで自作の段ボール製のマイホームを持ってる方もいるが、かなり少なくなった印象


以前は一ヶ所の建物に何百人、何千人もの住民票がある異様な人口密度を示していた。


行政が住基ネットの是正の為に立ち入り調査をしたり、まったく居住実態のない方の住民票を職権で削除しようとしてぷち暴動が起きる


みんなwelfareを受けたり、労災保険を受ける為に、住所が必要になり家を持たない方々がドヤや公共施設を住所として使う


※ welfare=漢字表記は生活保護


選挙になると、投票所入場券が何百人分も一ヶ所に送られてきてカオスになるらしい。


自由に生活するスタイルは、ある意味憧れもある。


釜ヶ崎で晩御飯を食べて、コンビニで下着や着替えを買って宿に戻り、監獄の独房の様な部屋で眠りにつきました。


にしなり②………に続く


以下、冒頭紹介の記事


引用先 読売新聞ニュース



労働者のまち「あいりん地区」、象徴だった総合センターの解体工事始まる…ピーク時の80年代後半は2万人が利用


 半世紀にわたり日雇い労働者を支えた大阪市西成区の労働施設「あいりん総合センター」(13階建て、2019年に閉鎖)で9日、外壁や基礎などの解体工事が始まった。市と大阪府は跡地に、センターの就労支援機能を引き継いだ施設を整備する方針で、地元と協議を進めている。(猪原章、林興希)

 9日午前、大型重機がセンターの外壁を大きな音を立てながら崩していった。周辺の人通りは少なく、センターを利用したことがあるという西成区の無職男性(57)は「多くの人でにぎわっていた頃が懐かしい。建物も古くなり、解体されるのは仕方ない」と工事の様子を見守りながら話した。

 センターは1970年、国と府・市が共同で設置。6000平方メートルの敷地に、職業安定所のほか、病院や市営住宅が併設された。労働者のまち「あいりん地区」の象徴として、ピーク時の80年代後半には約2万人の労働者が利用した。

 2012年に当時の橋下徹市長が「西成特区構想」を掲げ、老朽化や耐震性が課題だったセンターの建て替えを含めた見直し方針を表明。病院と市営住宅は近くへ移転し、就労支援機能をもつ施設は仮移転後に跡地で建て替えることになり、センターは19年4月に閉鎖された。

 解体工事は当初、20年頃に着手し、23年3月末までに完了する予定だった。しかし、センターを休息場所として利用してきた路上生活者が閉鎖後も寝泊まりを続けており、府が20年4月に立ち退きを求めて大阪地裁に提訴。24年5月に最高裁で府が勝訴し、地裁は同年12月に強制執行で路上生活者を立ち退かせた。

 内装の解体は昨年12月に始まっており、本体の解体工事は27年3月末に完了する予定。

府・市は21年、跡地を含む周辺の活用についての基本構想を策定した。現在、府・市や有識者、住民団体らでつくる会議で具体的な協議が続いている。

 基本構想では、北側を「福利・にぎわいゾーン」と位置づける。会議では、図書施設や多目的ホールのほか、起業を目指す人が試験的に出店する「チャレンジショップ」やキッズスペースなどの設置を求める意見が出ている。南側は「労働ゾーン」として、就労支援機能をもつ施設を整備。生活保護など多様な相談に応じるワンストップ窓口を設ける案もある。

 新たな施設の完成時期は未定で、市の担当者は「官民で連携し、多くの人が気軽に訪れられる場所になるような活用策を示したい」と話した。

 あいりん地区で労働者の支援や街づくりに携わってきた漫画家のありむら せん さん(74)は、センターを「労働者の人生、自分自身の人生が詰まった場所」と表現する。

 初めてセンターを訪れたのは、大学卒業を控えた1974年冬。広いスペースで多くの労働者が雑魚寝する様子に衝撃を受けた。翌75年にセンターで日雇い労働者の就労支援を行う公益財団法人の職員となり、自由奔放に生きる労働者「カマやん」を主人公にした4コマ漫画を描いてきた。「センターには全ての喜怒哀楽があった。この街を何人もの労働者が『通過』し、社会を支えた」と話す。

 あいりん地区は近年、街の様子が大きく様変わりした。労働者は減少する一方、外国人観光客が増え、日雇い労働者が寝泊まりした簡易宿泊所はゲストハウスなどに変わった。住民も外国人が急増し、地域の課題は多様化している。「これからは外国人労働者やひとり親世帯への支援が大事になってくる。新しい施設も、アップデートしていく必要がある」と語った。