殺人の場合、常に被害者が存在する。それは通り魔であっても変わりなく、常に被害者がいる。電波操作で対象者を洗脳し殺人を実行させた場合でも、やはり常に同じように被害者が生み出される。その被害者も多くの場合はスパイの工作の中で決定されている。
誰を殺すかという問題は倫理観とは違う次元の話になる。対象者が洗脳の結果として殺人を受け入れたとしても、誰を殺すのかは確定していない。あるいは、その工作は同時進行的に行われるかも知れない。つまり、最初から特定のターゲットが殺人の対象になっており、それが前提でスパイの工作が行われる場合がある。その場合においても、倫理観を乗り越える洗脳と対象者を誰にするかは別々の問題になる。
諜報機関は常に最終目的を持っている。それはスパイが腐敗した場合でも同じで、彼らは常に何らかの目的のために工作を行い、それに基づいて被害者が選定される。対人工作の一環として暗殺に近い形で被害者が狙われる場合もあるが、大きな問題になっているのはほとんどが対社会工作である。
例えば、敵国に対して大量殺人事件や爆破事件を起こして、その国民を不安に陥れる。その結果として、民衆の心はその国の指導者から離れていく。このような工作を行う場合、スパイは対象者を選定して洗脳し、それに伴って被害者も出るが、誰が被害者かまでは考えていない。つまり、どのような状況で被害者が生み出されるかは分かっているが、そのような被害は彼らの正義にとっては必要なコストだと考えられている。
これが自国で行われても変わらない。対社会工作として大量殺人を企画し、その結果として多くの人が死ぬ。彼らはそれが必要なことだと思っている。それが電波操作で起こっている問題の一つである。あるいは、より狭い範囲で工作が行われ、大量殺人というよりは明らかなターゲットが狙われる場合もある。
いずれにせよ、スパイが被害者を選定している。対象者の頭の中に妄想を作り出し、あるターゲットを攻撃することが正しいと思わせている。この際に極めてはっきりした理由が作られる場合もあるが、それでも、それが妄想であることには変わりない。理由があれば合理的に見えるが、洗脳の試行錯誤の過程で合理的な理由が必要になっただけであり、それ以上のものではない。本質的な問題は背後にある対社会工作の最終目的である。
このような問題が起こった際、もちろん洗脳を受けて実行した犯罪者が非難される。しかし、背後関係をよく考えれば、責任をより負わなければならないのは電波操作で洗脳したスパイの方であり、彼らを裁かなければ、この問題が収束することはない。