電波操作がどのように機能するかはかなりの時間を掛けて調べた。しっかりと把握しておかないと、いつまでも酷い洗脳に陥る可能性があり、それを避けるためにはどのような現象かを理解しておく必要があった。

 

 ただし、実際には電波操作の存在はずっと知らなかった。20年以上もその工作の対象者になっているが、それでもそのような技術が存在することを考えたこともなかった。とは言え、おかしな現象があったのは克明に覚えている。2001年春、東京にいた際に夜中に部屋の中を走り回ったことがあった。自分ではその行動を全く制御できず、ただひたすらに壁にぶつかりながら部屋の中を走った。その間、半分以上目を瞑っていたが、押し入れの場所を確認すると、ふすまを開けて物の上に飛び込んだ。

 

1993年には目の前でおかしな現象を見たことがあり、その以前にも電波操作の影響はあった。しかし、電波で人が操作できると考えたことはなく、また、自分自身が対象者になっていることも知らなかった。もちろん、公安警察やCIAの監視対象者のリストに載っていることすら知らなかった。

 

2011年終わりになってスパイに狙われていることを知り、それ以降徐々に、僕がずっと彼らの工作対象者であったことを知った。過去においておとり捜査や尋問、暗殺を含めて様々な工作が実行されており、それはCIAや公安、中国のスパイや多くの機関に狙われていた。それでも電波操作という技術は知らなかった。

 

彼らが電波をあからさまに使用し出すのは2013年になってからである。つまり、それは最終手段であった。当時、僕の存在はあまりにも目立ちすぎていたため、スパイは暗殺工作が出来ないようになっていた。一方で、僕には何の犯罪もないため、犯罪者にもスパイにも落とすことが出来なかった。そこで、彼らは電波操作を使って脅しだした。あるいは、その技術を使って殺そうとしていた。

 

結果として、スパイが電波で対象者の身体や思考を操作できることを知った。この順番は重要で、僕はこれらの技術をスパイが利用していることに何の疑いも抱いていない。それは彼らが違う工作を電波工作に先んじて実行していたからである。

 

とは言え、最初はそれが電波による影響かどうかも分からなかった。ホテルの部屋にいると突然声が聞こえた。もちろん、その声は誰かも分かったが、目の前に彼らがいなければ、そのような声が聞こえる装置もなかった。当初は窓の向こうの遠くから音波が送られてきているのかと思っていた。それで、二回目にその現象が起こったときに耳を塞ぐと、全く変わらずに声が聞こえることを知った。つまり、それは音ではなく、何らかの別の技術だった。

 

それが電波だと確信したのは体が動かされるようになったからである。音波も目には見えないが、音波では対象者の体を外部から動かすのは不可能である。そして、かなりの時間、部屋の中を走り続けた。恐怖はあったが、それでも落ちずに格闘し続けた。そうすれば先があるだろうと思っていた。しかし、現実的には状況は更に悪化していく。

 

その後、特に酷くなるのが県警本部を襲うような洗脳を受けた時である。それは2013年秋から始まり、2014年春頃まで続いていた。それも電波操作の結果であり、背後にはCIAと公安警察がいた。

 

今ではそのような洗脳を受けることもなくなったが、それは頭を冷やすことを知ったからである。今でも頭に保冷剤を巻いているが、それが効いた。当時、洗脳以外に酷い頭痛に悩まされ、また感情のイレギュラーな爆発に苦しんでいたが、頭を冷やすようになってから、そのような問題も抑えられるようになった。

 

頭が冷静を取り戻してから分かったことは、彼らが利用している頭痛には実は複数の種類があるということだった。痛みをコントロールできるようになるまでは気付かなかったが、その後、ゆっくりと時間を掛けて調べ、それらの電波操作が違う脳機能に影響を与えていることを知った。

 

つまり、スパイは単なる痛みという現象を起こしているのではなく、痛みを通して複数の異なった工作を行っていた。例えば、頭が痺れるように痛みがあって、それと同時に体にも疲労感が拡がっていく。彼らはモチベーションを落とすために、そのような電波操作を実行している。痛みを制御できるようになる以前は同じような結果をもたらされつつも、痛みとしか分類していなかった。

 

電波操作がどのような形で脳に影響を与えているかが、ここからのテーマである。