「6」が数えられるようになってた | 僕の理屈

「6」が数えられるようになってた

2才7ヶ月になる姪っ子の話なんだけど、
「6」が数えられるようになってて、声上げて喜んで感動した。
ゆうに赤飯クラスの出来事だと俺は思う。


いきなり話は逸れるが、俺は姪っ子とかなり仲がいい。
姉が実家で出産して、乳児期を一つ屋根の下で過したこと大きく影響し、かなりの友達だ。
母親である姉が、実家の母である俺の母親を頼ることも多いため、家にもよく来るし、
姉が身体を壊して入院にした時に2週間ぐらい預かったりした事も大きい。
おむつ替え・寝かし付け・食事(作れないけど)あたりは経験者枠。
“好かれてる”とか“なつかれてる”というよりも“仲がいい”というほうがしっくり来る。

誤解を招くといけないので、
『Yes! プリキュア5 Go Go!』の主題歌を一通り歌えることは黙っておこう。
それくらい仲がいい。


で、6を数えられるようになった話。

なんで「6」なのかも、何をそんなに感動するようなことがあるのかも、
直接関係のない人や、子供の成長の傍らにいた経験がない人には、
まったくもって理解いただけないと思うが、
これは本当にすごいことだ。


何がすごいって「6」は片手では数えられないのだ。
前は指を折々1~5まで数えられていたのだけど、
「6」になるとひとまずどっちも1本指立てて1(あわせて2)になる。
で、「ちがうよ、こうだよ、ほら6だよ」って見せると、
「6っ!!」ってやるけど、どう見ても両手パーのあわせて10である。
俺は「(ああ・・・もう、超かわいいんですけど・・・)」と思う。


という流れがあり、2週間ほど経って再会した。

姪:「6っ!!」
俺:「!!!!!!!!!」



どっからどう見ても、ワールドワイドに通用するであろう「6」であった。

もうこれ以上の感動が他にあるかと!
あるならここにもってこい!!
有り金全部はたいてでも買ってやる!!!!



と思ったのだが、あるのだ。
他にも、これまでにも山ほどあったし、幾度となく俺自身が体験してきた。

つまり・・・

「出来るようになる」って感動、すごいよね。

ってことが言いたい。
久しく体験していないし、これからもなかなか体験するのは難しいだろうなぁ。
程度の差で、このレベルになると下手をしたらもうないかもしれない。
もう数百回は同じことを戒めたが、初心忘れるべからず。
哀しいかな、出来た喜びを具体的に思い起こそうとしても、
リアリティに欠けて再確認できないけど。
(ここでやっぱりネガティブになる私)


姪っ子と接する時は、この種の感動のオンパレードです。
飽きそう(慣れそう)なもんだけど、不思議と全然飽きない。

なんというか人間の根源的なものが垣間見えるようであり、
蔓延っている、作られた感や拝金主義的な胡散臭さのない純正の感動。
それでいて、物凄く俺の個人的で占有的な、誰に共感してもらう必要もなく、
一部の身内にしか共有できない特別な感動。
そういうものを感じて嬉しくなる。


今、人生で一番楽しいことは、2着に8馬身くらい離して彼女のこと。
姪っ子のこれからが楽しみであります。



以上