具体的に感謝してみる | 僕の理屈

具体的に感謝してみる

「ありがとう」という言葉はとても素敵な言葉だけど、

なんだかズルイ言葉のようにも感じる。

受けた恩や、感謝の気持ちが、たかだか5文字で表現できてしまう。

それどころか、その言葉でちゃんと感謝したような気になってしまう。

 

 



本当にいい加減なほどなんとなく、

いろんなものに感謝をしたい気持ちになって、

受けた恩を返したいな、と思った。

「本当にいい加減なほどなんとなく」と、もう一回言っておかないと、

と思うくらいの気持ちで、そう思った。

 


具体的に考えてみる。

「誰に?」とか、「どんな風に?」とか考えてみる。

すると、どうしても相手は家族だった。

他の誰と比べても、俺のタメに費やしてもらった時間や、

考えてもらった質も量も、おそらく圧倒的だ。


 

俺は「ありがとう」という言葉にこだわる。

意味のわからない「ありがとう」が結構気になって、

「どの部分に“ありがとう”なんですか?」と思うことがある。

多くのありがとうは、気にかけてくれた時点で発生して然るべきと言う考えがあるので、

知ってることを教えてくれた人に「知っていたけど、ありがとう。」とか、

ありがた迷惑な行動に「迷惑だけど、ありがとう。」とか、

お門違いな心配に「余計なお世話だけど、ありがとう。」って言葉は、

矛盾してるようだけど理にかなっていると思っている。

(ただし「ありがとう。だけど、応えられない。」ってパターンもある。)


 

そういった観点で考えた結果、

「受けた恩を返したい」と思う相手の一番は、

どう考えても家族、特に親だった。


 

「じゃあどうやって?」ってことを考えると、

結局、俺自身がちゃんとすることでしかないと思い知る。

どう考えても、親が俺に費やしてくれたことの見返りは、

俺が幸せになることでしかない。

そのために費やしてくれてたんだから。

宝くじを、時間で手に入れた金を使って買って、

当ったのが目覚まし時計だったら、十分な見返りとは言えない。


 

「ちくしょう、結局そういうことかよ・・・」と思うのです。

だけど、それに真摯に応えようという気持ちがあれば、

とても素晴らしい人生になる、ってことでもある。

感謝、その前の気遣いが、そういうことをもたらすわけだ。




 

 

少し前に、「給食費は親が払っているのだから、いただきますと言わせないで!」という、

俗に言うモンスターペアレンツといわれる親のことが報道されていたり、

「店員に“ありがとう”という人が嫌!」という投稿が話題になったり、っとことがあった。

そんな世の中だから、「ありがとう」について考えてみるのはどうだろう、と思うのです。




 

以上