リフレイン | 僕の理屈

リフレイン

先週の土曜日、7月のライブでタイバンさせていただき、

仲良くしていただいてるソバシルボ さんのライブを見にいった。




ソバシルボさんは前に見させていただいた時も凄くかっこよかったけど、

それに増してかっこよかった。

本当に見に行ってよかった。

来年の2月に企画に参加させていただくことになりそうなので、

今からとても楽しみです。




7曲ほどの曲を聞かせてもらったなかで忘れられないフレーズがある。


「僕は間違ってない なのにこんなにつらい」(「僕が君に言いたいこと」/ソバシルボ)


このフレーズが耳から離れない。

土曜日から繰り返し繰り返しリフレインしている。

このフレーズが耳に残って離れないのは、

きっと俺もそう思っているからなんだと思う。

自覚はそれほどない。

上っ面の自己分析に限っては。

でも深層心理の中で、このフレーズに共感があるんだろうな。

俺はたくさん間違っていると思っているけど、

それは経験則や、凝り固まった屁理屈や、刷り込まれた一般論なんかを礎に思うことで、

深層心理の中では「僕は間違ってない」と思ってるんだと思う。



きっとみんなそうなんだろうな。

俺が「間違っている!」と思うあの人も、

その人は「僕は間違っていない」と思っているんだと思う。

当たり前だが、いろんな人がそれぞれの価値観や正義を胸に持って生きていて、

それがさまざまのところで挫かれ、磨耗し、打ちひしがれ、

そこに生ずる軋轢の全ては、もれなく痛みを伴う。

価値観や倫理観だけでなく、人生観、恋愛観・・・“~観”のつくもの全部と、

行動、言動、過程、結果・・・あらゆるもので、

自分の正誤性というのが問われ、

にもかかわらず多様化して肥大化した正誤性に、もはや正解はない。

自分は正しいと証明することは不可能に近い。

証明することに必要性を感じる人ばかりではないし、盲信すればできるだろうけど。



前に「バックナンバー1」 という記事の中で、“人と比べること”について書いたけど、

それに似たストレスが、この話に当てはまる部分があるのかなぁと思う。



ここにある葛藤ってつらいよね・・・。

だからって、そこで迷わないのも違うと思う。

変化することを受け入れられないというのは、年をとればとるほど足かせになる。

「自分に自信がないの?」、そういわれても結構。

自分を信じている傍らで、いつまでも自分を疑っている自分に居座ってほしい。

そう思っている以上、迷って悩んで模索していくしかないのだけど、

そこに囚われすぎるのも良くないから難しい。

結構頑丈な精神を必要としてくる。



なにか、「じゃあこうしよう!」ってことが見つかったわけじゃない。

ただ、うまくバランスとっていきたいなぁ、って思ったんだ、結局は。

あと、「みんなそうなんだろうなぁ・・・」っていうのが、

思いの外、俺をいい気分にさせた。




以上


※ソバシルボさんの意図とは一致しません。(確認してません)

 あくまで、俺が個人的に考えたことです。あしからず。