“されない”より“しない” | 僕の理屈

“されない”より“しない”

ぼけーっと独り言。



人を怒らせないことはに対して気を使ったり、努力したりすることは出来ると思う。

だけど、それと実際に怒らせないことは全く違うもので、

ものすごくものすごく難しいことだと思う。

俺はどんなに気をつけたって、人を怒らせ続けると思う。

生きている限り人を怒らせ続けると思う。


でも、自分が怒らないようにするのは、

人を怒らせないことよりはず~っと簡単だ。

みんなが怒らなくなったら、俺も人を怒らせないですむかもしれない。


人を怒らせないように努めるより、

人を怒らない努力の方が意味があるかも知れないなぁ。



人に嫌われるのも同じだ。

どんなに気をつけて嫌われないようにしたって、俺は嫌われる。

人を嫌いになるのも嫌われるのも、悲しいくらい簡単だ。

人に好かれるのはものすごく難しい。

嫌われた人に好きになってもらうのはその何倍も難しい。


だから、人を嫌わない努力をしようかな。

人に嫌われないよりは、人を嫌わないことのほうが簡単・・・のような気がする。

みんなが人を嫌うのが下手糞になったら、俺も嫌われないですむかな。




そんなことを考えていたら、袋小路に迷い込んだ。


人を傷つけてしまうことは、怒らせるのや嫌われるのと同じように、

本当にどうしようもないことだと思う。

人を傷つけずに生きていくことなんて出来ない。

傷つけまいと努めることは出来るし、とても大切なことだけど、

その想いが必ずしも結果に結びつくわけじゃない。


・・・ここまでは一緒。



でも、自分が傷つかない努力なんて出来るのかな?

自分が傷つくまいとして、自分は傷つかないでいけるのかな?

もしそれが出来るなら、誰も傷つかないよな・・・。



所詮は理想論だ。

怒るも、嫌うも、傷つくも、自分の意識でどうこうなるもんじゃない。

俺はこれからも人を怒らせ、人に怒り、

人に嫌われ、人を嫌い、

人を傷つけ、人に傷つけられるだろう。



でも、ためしにやってみよう。

誰もやろうとしてないかもしれないし。

やったら意外と出来るかもしれないぞ。



「怒らない」、「嫌わない」、あわよくば「傷つかない」。

そういうことを意識して生活してみようかな。

でも、そのとき生じるストレスはきっと自分に返ってくるのだろうな・・・。

なにもかも自分のせいにするしかない。

「この人は悪くない、悪いのは自分だ。」と思う以外の方法を知らないし。

自分が喰われちゃ元も子もない。

喰われちゃった後は、鬱積したものが爆発してもっと良くないことが起こる、きっと。

それだけは気をつけないとな。

・・・怖いわ。




独り言でした。



以上