「分かる」ことと「解る」こと | 僕の理屈

「分かる」ことと「解る」こと

さあ、2月一発目!!

無駄に気合が入ってます!

久々に「生きるヒント」シリーズを書こう。

いい加減この偉そうな名前に負い目を感じるぜ・・・。

 

 

<「分かる」ことと「解る」こと>

 

「ルールを守ろう」「親のありがたみを知れ」「友達を大事にしよう」「人を思いやろう」「自然を大切にしよう」

「困ってる人を助けよう」「人が嫌がることはしない」「嘘はつかない」「人に迷惑をかけるな」「夢を持て」

「戦争は良くない」「暴力は良くない」「差別は良くない」「命は大切なもの」・・・・・・・etc


世の中には当たり前とされていて、守るべきものとされている「モラル」だったり「マナー」だったり「道徳」「啓示」見たいな物が山ほどある。どれも聞いたことあるし、「まぁそうだよね」って思う。分かってることが殆どだ。

 

でも、本当に解ってる

 

「分かる」と「解る」。この二つの漢字がそれぞれどういう意味で、どちらがよりわかっているのかはわからない。

 

「わかる」を変換して出てくる説明は・・・

分かる→事情が分かる、消息が分かる、話が分かる

解る→理解、ドイツ語が解(=分か)る、意味が解(=分か)る、*常用外

 

辞書で引くとどちらも・・・

(1)物事の意味・価値などが理解できる。「意味が―・る」「音楽が―・らない人」「英語の―・る人」
(2)はっきりしなかった物事が明らかになる。知れる。「真犯人が―・る」「答えが―・る」
(3)相手の事情などに理解・同情を示す。「―・った、なんとかしよう」「話の―・った人」
 

こんな感じ(参考一件)。特に差はなく、どっちが偉いってこともないんだろうな。でも、今は「分かる」<「解る」ってことで話を進めていくのでそこんとこよろしく。

 

 

俺は「わかる」事には2種類あると思っている。それを「分かる」ことと「解る」こととします。つまり、「分かる」ことと「解る」ことは違う。

 

めぐみ:「林太郎は私のこと解ってない!」

林太郎:「分かってるよ!!」

めぐみ:「嘘よ!何も解ってない!」

林太郎:「分かってるって!」

 

メロドラマ風に文字にするとこういう差だと思ってくれ。分かりにくいな・・・。ちなみに「めぐみ」と言う人は近しい知り合いにはいないはず!いたらごめんち!

 

「分かる」ことは容易い。誰かが教えてくれて、「なるほど、そうだね」って思えればもう「分かって」いる。だけど「解る」のは難しい。「そうだね」って思ってもそれだけでは「解って」いない。「分かって」いるのは、「解った」フリをすることだと思う。

よくドラマやなんかで「頭ではわかってるんだけど・・・」みたいなセリフが出てくるけど、これは「分かってる」。「分かって」いても何も出来ない。「解って」初めて何か出来る。

 

「親はありがたい、感謝しよう」ってよく聞くよね。この年になって所々で聞きます。でも俺は「本当に解ってるの?」って思うの。解ったフリしてないか?ぶっちゃけると俺の理屈上、俺自身は親のありがたさを「分かって」るけど、「解って」ない。いや「解ってる」かも・・・。まあ微妙なところだ。少なくとも恩返し切れてないね。「感謝してる」といったって、言葉でしかない。親が本当に望んでいることを全然出来ていないし、本気でやろうとはしていない。ただ、「自分のやりたいことを、好き勝手にやるということが、必ずしも正しいことではない」と言うことは本気で「解って」きた。生きていく以上、自分を取り巻く全ての人たちを安心させることは、生まれてきた人間全てに課せられたノルマだと思う。人に心配をかけるというのはかなりの「罪」です。かけてない?心配?かけてるのに「わかってる!」とか言ってない?まあ心配にもいろいろあるしな。親はいつまでも心配するものとも言うし、そこはポイントではないかもだけどね。

「親のありがたさは、自分が親になったときにしかわからん」ってのもよく聞くよね。実際そうかもしれない。自分が親になって、かつて自分が「はぁ!?心配するなよ、ばかだなぁ!」って思ってたことを、俺は心配するんだろうと思う。だけど、親になる前に、俺は「解ろう」とし続けたいと思ってる。4人兄弟の末っ子だし、恋人もいないので、今後親になる予定はない。出来ちゃった婚とか自分的にNGだし。恋愛にもある程度時間をかけるタイプの人間なので

<恋をする(ここはクリアーw)→彼女を作る→愛を育む→(数回ループ)→同棲する→愛を育む→(数回ループ)→結婚を決意する(この時点で「家族を守る経済力」も必須)→結婚する→中出しする→妊娠する→十月十日→子供が産まれる→子供に親のありがたさを実感させられる→ゴール!!>

と言う過程を全てクリアーしないといけないと考えると、今年で還暦になる両親のどちらかは死んでるかもしれない。それじゃあ間に合わないからね。死んだ人間に恩返しするのはどんなに頑張ったって自分のためでしかない。俺は本当に親を喜ばすタメに何かしなくちゃいけない。自分の歴史を考えてみても、これは明白だ。あっ!!やっぱ俺「解って」るかもな☆

本当の意味で「解る」ことが出来れば、自分が親にならずとも、親に恩返しできる。うん。したい!

 

「戦争は良くない」なんて、戦争を一切経験してない現代の若い日本人(60歳未満)は殆ど「解って」ないと思う。自分の愛する人が、戦争で殺されたことはない。自分の愛する人が戦争に行って、帰ってくる保証のない状況におかれたこともない。相当頑張って解ろうとしないと解らない事だと思う。

だからってそれを解るタメに戦争しちゃダメなんだけど、「戦争は良くない」と解ったフリしてないで、本当に「解ろう」と意識していけば少しは近づける気がする。どこかの国で起こってる戦争の報道を、鼻くそほじりながらは見れないくらいにはなれるんじゃないかと思う。

それによって、この国がいかに平和で、飽和しているか、いかに無駄に浪費しまくっているかとか実感できるんじゃないかね。

だけど俺は寒けりゃ暖房に頼るし、暑けりゃ冷房に頼る。ここで少しの意識があれば、設定温度を一度だけ電力を使わないほうに設定するかもしれない。ちょっとの意識の差で、劇的に世界が変わる気がしてきました。

 

やっぱり「分かる」だけじゃダメなんだ。 「社会の歯車」 とかまさにそれ!「働くのはいいことだ、誇らしいことだ、さあみんな働こう」みたいな事を言っておきながら、俺は働いてない。イコール「解って」ない。

 

 

俺が今回「生きるヒント」として言いたいのは 「分かったと思ってることを、もう一度解ろうとしてみないか?」って事。「わかってる」と言って終わらしてしまったことは、きっともう考えない。答えを知ってるなぞなぞなんて一秒だって考えない。犯人のわかっている推理小説は二度は読まない。だけど、2度考え、2度読んだら、「答え」とは別の、新しいものが待ってるかもしれない。

これは正直結構な難問。「わかった」と思ってるけど「解って」ないかもしれないことって、わからないじゃん。解決しちゃってるからもうリストにないんだよね。でもたまに、ふっと感じることない?当たり前に傍いる人間のありがたさとか、いいところとかが見える瞬間って。長年付き合ってる恋人に「あぁ、そういえばここが好きなんだなぁ」とか、古い友人の「こいつのこういうところが、俺の助けになってたりするんだなぁ」って思うことが、俺はある(後者のみ)。

周りの人間に限らず、そういう風に殆ど当たり前になってしまってることを、1回フラットに戻して考えてみる。良い⇔悪いの判断であったり、好き⇔嫌いの判断であったり、大切⇔そうでないの判断をもう一回してみると、進化してる自分が進化した答えを教えてくれたりするんじゃないかな、って思うんです。答えは同じでも、より深い答えをね。

ま、そんな話です☆

 

  

 

以上!!