~プロローグ~
私が初めて競輪というものに触れたのは、2023年、中学1年のとても暑い夏の日。今でも鮮明に覚えている。
幼い頃に父を亡くし、母親と2人で生きてきた私は、今まで父親のことを母にはあまり聞かなかったので、父はどういう人だったのか、どんな仕事をしていたのかなど全くと言っていいほどわからない。
そんなある日、母に連れられて行ったところが、私が住む那須から車で1時間ほど、宇都宮市の中心にほど近い宇都宮競輪場だった。
黙って母に付いていくと入り口には長い階段が・・・よく見ると右側にエスカレーターがあってほっとした。
建物を抜けるとそこには陸上の競技場みたいなものがあった。しかし陸上の競技場と違ってお椀型をしている。そして、そこでは自転車に乗った数名が1列に並んで走っている。その光景に見とれていると、カンカンカンという鐘のような音が鳴り響き皆一斉にスピードを上げる。
そうか、これを合図に勝負が始まるんだと私は思った。1周くらいして、みんなのスピードが落ちる。ああ、ゴールしたんだな。この1周の間、背筋がぞくっとする感覚を覚えた。
「す、凄い」
私はボソッと呟いた。そして、この戦いを終えた選手達をよく見た時に更なる衝撃を受けた。えっ、全員女性だ!
その時、今まで黙っていた母が口を開いた、
「これはガールズケイリンといって、女性同士で戦うレースなの」
「へえ、そうなんだ」
さらに母が口を開く、
「今まで黙っていたけど、あなたのお父さんは競輪選手だったのよ。毎日毎日きつい練習、厳しいレースに臨んで私たちの生活を支えてくれていたの」
「あなたが物心つく前に病気で亡くなってしまったけどね」
母の目にうっすらと涙が浮かんだように見えた。
母の寂しそうな顔から眼をそむけバンク内を見ると、おそらく次のレースの選手達であろう数名の人達がゆっくりと周回している。右奥の巨大なモニターにはその選手の紹介映像が映っている。
訳も分からずモニターを見ていると、ある選手のところで目が止まった。
「あっ、私と同じ名前だ!」
「土田珠里・・・選手か・・・」
私の名前は、多々良珠里。同じ名前の選手、なんか親近感が湧いてくる。すると、母が、
「彼女は地元栃木の選手なのよ。最近メキメキ力をつけてきて、去年の年末の大きなレースでも2着に入っているの」
「へえ、お母さん詳しいんだね」
「そりゃあ詳しくもなるわよ。お父さんが競輪選手だったんだもの。亡くなったあとも地元の選手には注目してきたの。とくにこの土田珠里選手は。同じ女性として、毎レース一生懸命に走る姿に感動してね」
「さあ、出てきたでしょ。レースが始まるわ。あの7番、オレンジの服が土田珠里選手よ。一緒に応援しましょう」
「うん、わかった」
レースが始まった。7人だと思っていたけど8人いる。紫の人が先頭で走っている。スピードはゆっくり。ああ、さっきのレースと一緒で、あの紫の人が先導して、カンカンなってからが勝負なのね。地元の土田珠里選手は一番後ろを走っている。大丈夫なのかな?
「あと半周したら、ジャンでそこからが勝負よ」
母が呟く。ジャンってなんだろう?そうこうしているうちに、あのカンカンという音が鳴って、先頭の紫の人がいなくなった。自転車のスピードが上がる。カンカンの音が鳴り終わった。赤い服の人が先頭で走っている、凄いスピード。土田珠里選手はまだ一番後ろ。心配そうにしている私に気付いたのか母が、
「大丈夫、もうすぐよ」と私にささやく。
と、母が言い終わるのを待っていたかのように、土田珠里選手が一気にスピードを上げて前の選手を交わしていく。一人、また一人。
身体の震えが止まらない。私は土田珠里選手の走りに釘付けになった。そして先頭を走る赤い服の選手の後ろまで来た時に、無意識のうちに叫んでいた、
「がんばれー!あと一人!」
土田珠里選手が前の選手を交わしてからすぐに、皆のスピードが落ちた、
「ねえ、お母さん、これどうなったの?」
「1着よ、土田珠里選手が1着でゴールしたのよ」
私の身体はまだ震えている、そして涙が流れている。この瞬間、私の中に何かが芽生えた。
時は流れ2030年3月、私は日本競輪選手養成所を卒業した。
*この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
また、いつまで書き続けられるかも分かりません💦×278