私、ミスコンに出る。
彼女は足を動かすのに合わせて持った鞄を大きく振り回しながら言った。じめじめした季節が終わった頃、皆でお酒を飲みに行った帰り道の事だった。僕は驚いて横を見たが、彼女は視線を電灯の方に泳がせるだけで次の言葉をなかなか出さない。振り回した鞄が彼女の身体に当たる音とアスファルトと靴がこすれる音だけが薄暗い夜道に響く。そうなんだ、と口を開くのと同時に彼女の鞄が身体に当たって、僕の言葉は何処かへ消えてしまった。
僕は家に帰ってから、これから彼女に降りかかるであろう数々の災難に、あくまで勝手に胸を痛めた。
後期の授業は、学校中に貼りだされたミスコンのポスターに度肝を抜かれる事から始まった。他の出場者に混じって彼女の大きな写真が掲示板に貼られていた。彼女に合うよりも早く、彼女の写真を見てしまった。
最後に合った時とは違う髪形をしている。夏の頃よりも髪は薄い色に染められていて、気にしていた広いおでこは前髪によって上手いようにカバーされていた。頭を少しだけ斜めに向けて、両方の目がきちんとこちらを向いている。その巨大ポスターの前を素通りする振りをして、僕はなんども彼女と目を合わせた。
大学のキャンパスを少し進むごとに、彼女の顔が目に入った。大きなポスターや男が持つチラシの中に彼女がいて、誰かを見つめて微笑んでいた。それに気付く度に、あの日は僕の方を見なかった彼女の目の形を思い出した。
あの子、お前の友達? と聞かれる事が多くなった。所属している学課が同じと言うだけで、皆は僕が彼女と繋がっていると思ったのだろう。友達以上でも、それ以下でも無かった。そうだけど、と答えると彼らは決まって、どんな子なの、と聞くのだ。僕は彼女の姿を思い出してから、口を開く。
ポスターではなんとかかわいく映ってるけどさ、結構変なヤツだよ。人の話を聞かないでベラベラ喋るし、女の子のクセにスタバが苦手で慌てるし、お酒飲むとすぐに背中バンバン叩くし。
そう言いたいのを堪えて、普通のかわいい子だよ、と答える。
僕は、彼女が酷い人見知りな事を知っている。そのせいで、一年生の頃に好きだったサークルの先輩を他の一年生に取られてしまった事を知っている。それがきっかけでダイエットをはじめて、彼女がこの一年で5キロも体重を落とした事を知っているし、痩せる前の今より少しだけ地味な彼女も知っている。しかし、そんな事は彼らには関係が無い。
ポスターに押し込められた彼女は、不特定多数の人間から好奇の目にさらされる。彼らが気にするのはかわいいかそうでないかだけだ。彼女の足が細いかとか、芸能人の誰に似ているとか、そんな所をずっと眺めてはやし立てているだけで、彼女がどういう女の子かなんて関係が無い。僕が彼女と交わした数えきれない言葉だって彼らにとっては無意味で、僕と彼女の関係はゼロかイチかの薄っぺらな物になってしまう。お前らに何がわかるんだよ、と大声を出す事も、黙って椅子から腰を上げて何処かに行ってしまう事も出来ないまま、彼女について皆が喋るのを聞くフリをしていた。
僕がミスコンのステージに到着したのは最終結果が発表される直前だった。行く事をずっとためらっていたが、絶対に来るように念を押した彼女の事を思い出して、気が付いたらステージに向かって駆け出していた。
短いドラムロールの後、大げさな音楽に合わせてウエディングドレスを纏った出場者達がステージの脇から顔を出す。そこの中心にいるのが彼女だ。新しい髪形はここ一カ月で見慣れてしまっていたし、暗い路地で何度も見た彼女の姿を見間違う訳が無かった。
僕の周りにいる生徒たちが、手を叩きだした。一斉に燈された照明のせいで、ステージだけでなく観客の顔までもが明るくなっている。前の男が、甲高い声を挙げた。隣の女が、出場者の事だろうか、大きな声で誰かの名前を叫んだ。ステージが明かりと歓声に包まれて、その中心に立っている彼女の表情が、すこしだけ緩むのが見えた。
観客の誰かが、彼女の名前を大声で呼んだ。あれだけ苦い思いをしたのに、その度に少しだけくすぐったい気持ちになる。僕、あの子の友達なんですよ。隣に立っている人に話しかけたくなった。入学した時から知ってるんですけど、その頃はもっと地味だったんですよ。そう言って、彼女の事を自慢したい気分だった。
僕と彼女を結び付けている物は、省略できてしまうような些細なものだ。その気になれば簡単に断ち切られて、一瞬で無くなってしまうようなものだ。しかしそれでも、ステージの上の彼女と僕が繋がっている事が少しだけ嬉しかった。
しかし、どんなに声を大にして伝えたって、僕はステージ前に溢れる観客のひとりだった。彼女の笑顔に目を奪われて大声で名前を呼ぶ大勢のうちのひとりで、ステージの上からでは見わけがつかないただの観客だ。彼女がマイクを使って発した言葉は大勢の人間に吸われて、僕のもとに届くのはほんの少しだった。
ここからどんなに手を伸ばした所で彼女には届かない。そう思ったら観客が彼女の名前を呼ぶのが嫌になって、すぐに止めさせた方がいいんじゃないかとか、いやすぐに彼女をステージから引きずりおろそうとか、そんな思いが芽生えたが何とか打ち消した。僕ができる事は、ステージの上にいる彼女が近いうちに僕の手の届く所に戻ってきてくれるのを願う事だけだった。
明日、僕の電話は彼女の携帯電話を鳴らす事ができるのだろうか。一大イベントを終えた彼女に言葉をかける事ができるのだろうか。眩しさに目を凝らして彼女を見ながら、そんな事を考えている。
彼女は足を動かすのに合わせて持った鞄を大きく振り回しながら言った。じめじめした季節が終わった頃、皆でお酒を飲みに行った帰り道の事だった。僕は驚いて横を見たが、彼女は視線を電灯の方に泳がせるだけで次の言葉をなかなか出さない。振り回した鞄が彼女の身体に当たる音とアスファルトと靴がこすれる音だけが薄暗い夜道に響く。そうなんだ、と口を開くのと同時に彼女の鞄が身体に当たって、僕の言葉は何処かへ消えてしまった。
僕は家に帰ってから、これから彼女に降りかかるであろう数々の災難に、あくまで勝手に胸を痛めた。
後期の授業は、学校中に貼りだされたミスコンのポスターに度肝を抜かれる事から始まった。他の出場者に混じって彼女の大きな写真が掲示板に貼られていた。彼女に合うよりも早く、彼女の写真を見てしまった。
最後に合った時とは違う髪形をしている。夏の頃よりも髪は薄い色に染められていて、気にしていた広いおでこは前髪によって上手いようにカバーされていた。頭を少しだけ斜めに向けて、両方の目がきちんとこちらを向いている。その巨大ポスターの前を素通りする振りをして、僕はなんども彼女と目を合わせた。
大学のキャンパスを少し進むごとに、彼女の顔が目に入った。大きなポスターや男が持つチラシの中に彼女がいて、誰かを見つめて微笑んでいた。それに気付く度に、あの日は僕の方を見なかった彼女の目の形を思い出した。
あの子、お前の友達? と聞かれる事が多くなった。所属している学課が同じと言うだけで、皆は僕が彼女と繋がっていると思ったのだろう。友達以上でも、それ以下でも無かった。そうだけど、と答えると彼らは決まって、どんな子なの、と聞くのだ。僕は彼女の姿を思い出してから、口を開く。
ポスターではなんとかかわいく映ってるけどさ、結構変なヤツだよ。人の話を聞かないでベラベラ喋るし、女の子のクセにスタバが苦手で慌てるし、お酒飲むとすぐに背中バンバン叩くし。
そう言いたいのを堪えて、普通のかわいい子だよ、と答える。
僕は、彼女が酷い人見知りな事を知っている。そのせいで、一年生の頃に好きだったサークルの先輩を他の一年生に取られてしまった事を知っている。それがきっかけでダイエットをはじめて、彼女がこの一年で5キロも体重を落とした事を知っているし、痩せる前の今より少しだけ地味な彼女も知っている。しかし、そんな事は彼らには関係が無い。
ポスターに押し込められた彼女は、不特定多数の人間から好奇の目にさらされる。彼らが気にするのはかわいいかそうでないかだけだ。彼女の足が細いかとか、芸能人の誰に似ているとか、そんな所をずっと眺めてはやし立てているだけで、彼女がどういう女の子かなんて関係が無い。僕が彼女と交わした数えきれない言葉だって彼らにとっては無意味で、僕と彼女の関係はゼロかイチかの薄っぺらな物になってしまう。お前らに何がわかるんだよ、と大声を出す事も、黙って椅子から腰を上げて何処かに行ってしまう事も出来ないまま、彼女について皆が喋るのを聞くフリをしていた。
僕がミスコンのステージに到着したのは最終結果が発表される直前だった。行く事をずっとためらっていたが、絶対に来るように念を押した彼女の事を思い出して、気が付いたらステージに向かって駆け出していた。
短いドラムロールの後、大げさな音楽に合わせてウエディングドレスを纏った出場者達がステージの脇から顔を出す。そこの中心にいるのが彼女だ。新しい髪形はここ一カ月で見慣れてしまっていたし、暗い路地で何度も見た彼女の姿を見間違う訳が無かった。
僕の周りにいる生徒たちが、手を叩きだした。一斉に燈された照明のせいで、ステージだけでなく観客の顔までもが明るくなっている。前の男が、甲高い声を挙げた。隣の女が、出場者の事だろうか、大きな声で誰かの名前を叫んだ。ステージが明かりと歓声に包まれて、その中心に立っている彼女の表情が、すこしだけ緩むのが見えた。
観客の誰かが、彼女の名前を大声で呼んだ。あれだけ苦い思いをしたのに、その度に少しだけくすぐったい気持ちになる。僕、あの子の友達なんですよ。隣に立っている人に話しかけたくなった。入学した時から知ってるんですけど、その頃はもっと地味だったんですよ。そう言って、彼女の事を自慢したい気分だった。
僕と彼女を結び付けている物は、省略できてしまうような些細なものだ。その気になれば簡単に断ち切られて、一瞬で無くなってしまうようなものだ。しかしそれでも、ステージの上の彼女と僕が繋がっている事が少しだけ嬉しかった。
しかし、どんなに声を大にして伝えたって、僕はステージ前に溢れる観客のひとりだった。彼女の笑顔に目を奪われて大声で名前を呼ぶ大勢のうちのひとりで、ステージの上からでは見わけがつかないただの観客だ。彼女がマイクを使って発した言葉は大勢の人間に吸われて、僕のもとに届くのはほんの少しだった。
ここからどんなに手を伸ばした所で彼女には届かない。そう思ったら観客が彼女の名前を呼ぶのが嫌になって、すぐに止めさせた方がいいんじゃないかとか、いやすぐに彼女をステージから引きずりおろそうとか、そんな思いが芽生えたが何とか打ち消した。僕ができる事は、ステージの上にいる彼女が近いうちに僕の手の届く所に戻ってきてくれるのを願う事だけだった。
明日、僕の電話は彼女の携帯電話を鳴らす事ができるのだろうか。一大イベントを終えた彼女に言葉をかける事ができるのだろうか。眩しさに目を凝らして彼女を見ながら、そんな事を考えている。