マリー・アントワネット (通常版) [DVD]/キルスティン・ダンスト,ジェイソン・シュワルツマン,アーシア・アルジェント

¥3,990
Amazon.co.jp
映画「マリー・アントワネット」
これは、「歴史上の人物」としてのマリー・アントワネットをとことん削ぎ落とした、新しい視点の映画である。
したがって、所謂「歴史もの」とは異なる。全体的に軽いタッチで進み、明るくコミカルな印象であり、実際のヴェルサイユ宮殿で撮影された映像は見ているだけで贅沢である。日本の作品で言えば、今やってる大河ドラマ「江」に少し近いかもしれない。
一国の王妃でもなく、贅沢好きの悪女でもない、純粋な10代、20代の女性としてのマリー・アントワネット像。時代も国も全く違うのに、華やかなドレスを身に纏った彼女の中に、私達は「女子高生」あるいは「女子大生」を見出すことが出来る。彼女の関心事は国の行く末や夫の仕事のことではない。夫との性生活、王子を産むこと、オシャレ、夜遊び、恋愛、友達、ライバル、遠くにいる口煩い母親、そういうものなのである。
朝まで飲み明かしたり、合コンしたり、私達の時代と同じ「ひとりの女性」ということが前面に主張され、彼女はどこまでも愛らしい存在として描かれる。音楽も、いかにも優雅なクラッシックではなく、ポップで元気な曲で彼女のイメージを作り上げている。
物語では「フランス革命」を思わせるシーンはほとんど出てこない。あるのはマリー・アントワネットの視点からの「なんだかよくわかんないけど大変らしい」とか「なんだかよくわかんないけど怖いことが起こっている」という感覚だけである。自分を可愛がり、認めてくれていた人が離れていくことを暗示するオペラ会場のシーンが印象的だ。彼女は民衆の暴動によって身の危険を感じているのではなく、身近な貴族の反応によって自分の居場所が危ういことを察知するのである。あくまで「歴史」ではなく「マリー・アントワネット」を主人公に据えた脚本だと思った。
一家がヴェルサイユ宮殿を離れるところで物語は終わり、やはり具体的な革命には触れずに物語は終了する。中途半端なようにも感じたが、やはりヴェルサイユを離れる時点で彼女の物語は終わらざるを得ないのだろう。なぜなら、この先彼女は宮殿にいた頃のように華やかな存在ではいられないからである。
もはや彼女は主人公ではない。この日を境に主人公は民衆に移った、ということだろう。

¥3,990
Amazon.co.jp
映画「マリー・アントワネット」
これは、「歴史上の人物」としてのマリー・アントワネットをとことん削ぎ落とした、新しい視点の映画である。
したがって、所謂「歴史もの」とは異なる。全体的に軽いタッチで進み、明るくコミカルな印象であり、実際のヴェルサイユ宮殿で撮影された映像は見ているだけで贅沢である。日本の作品で言えば、今やってる大河ドラマ「江」に少し近いかもしれない。
一国の王妃でもなく、贅沢好きの悪女でもない、純粋な10代、20代の女性としてのマリー・アントワネット像。時代も国も全く違うのに、華やかなドレスを身に纏った彼女の中に、私達は「女子高生」あるいは「女子大生」を見出すことが出来る。彼女の関心事は国の行く末や夫の仕事のことではない。夫との性生活、王子を産むこと、オシャレ、夜遊び、恋愛、友達、ライバル、遠くにいる口煩い母親、そういうものなのである。
朝まで飲み明かしたり、合コンしたり、私達の時代と同じ「ひとりの女性」ということが前面に主張され、彼女はどこまでも愛らしい存在として描かれる。音楽も、いかにも優雅なクラッシックではなく、ポップで元気な曲で彼女のイメージを作り上げている。
物語では「フランス革命」を思わせるシーンはほとんど出てこない。あるのはマリー・アントワネットの視点からの「なんだかよくわかんないけど大変らしい」とか「なんだかよくわかんないけど怖いことが起こっている」という感覚だけである。自分を可愛がり、認めてくれていた人が離れていくことを暗示するオペラ会場のシーンが印象的だ。彼女は民衆の暴動によって身の危険を感じているのではなく、身近な貴族の反応によって自分の居場所が危ういことを察知するのである。あくまで「歴史」ではなく「マリー・アントワネット」を主人公に据えた脚本だと思った。
一家がヴェルサイユ宮殿を離れるところで物語は終わり、やはり具体的な革命には触れずに物語は終了する。中途半端なようにも感じたが、やはりヴェルサイユを離れる時点で彼女の物語は終わらざるを得ないのだろう。なぜなら、この先彼女は宮殿にいた頃のように華やかな存在ではいられないからである。
もはや彼女は主人公ではない。この日を境に主人公は民衆に移った、ということだろう。