一番お世話になった、おばあさんが死んだ。
痴呆になっていた為、施設で生活していたのだが、1ヶ月前くらいに肺炎になり、
肺炎も治ってきて、いざ施設に逆戻りというところで、食事を食べている時に看護士が
少し目を話していた時に死んでたらしい。
看護士はスミマセンでしたと謝ってきたらしい。
そのことは別に何も悪いことをしてるわけではないので気にしていない。
むしろ、若干気の毒な感じすらある。
おばあさんは苦しまずに死んだようで、良い死に方をしたと思う。
癌で死んだおじさんは、痛い、痛いと苦しみに耐えて死んだのだから。
母親が最後に入院中のおばあさんを訪問した時の出来事だ。
以前、僕が施設にお見舞いに行った時、ついに僕の顔を忘れていた。
名前も忘れていた。
その時は少なからずショックだった。でも、それが歳を取るというということだと理解した。
母親の顔も忘れられていた。我が子の顔や名前も忘れていた。
もしかしたら、名前は少し覚えていたかもしれない。
母親が自分が忘れられていたことに対してはかなりショックだったようで、泣いていた。
それを見ると悲しくて涙が出た。
そういう前置きがありつつ、入院中のおばあさんを訪問したのだけど、おばあさんは軽く名前を
覚えていたらしく、母親が名前を言うと、いつもお見舞いありがとう、すまないねぇと言っていた
らしい。
おばあさんは一応お見舞いに来ている誰かは分からなくても、お見舞いに来てくれてありがたいと
いう気持ちはあるようで、いつもありがとうと言って涙する。
その姿を見ていると涙が出てきた。
痴呆が始まった初期は話のループが多かった。思い出したことを話してくれた。
その時も母親に話をしてて、思い出したかのように、孫の世話が出来てとても楽しかったと言った
そうだ。幸せだったありがとうと母親に言ったそうだ。何だかいつもと違うなと思ったらしい。
孫というのは僕たちのことだった。
怒られたこともあったし、勉強になったこともあったし、笑ったこともあったし。
とてもお世話になった。数えきれないほどお世話になった。
両親が共働きだったので、預けられることが多かったのを覚えている。
だけど、全然寂しくなかったのはおばあさんが居たおかげだった。
おばあさんは、色々と辛い目にもあったりしたんだけど、最後に残った思い出は楽しい思い出ばかりが残っていたようだった。
それは話してくれることからも分かった。
明日は通夜で、明後日が葬式だ。
結婚とか、ひ孫見せるとか、そんなこと出来たら、喜んでくれたんだろうなと思うと、
心残りはあるなぁ。
最近葬式続きで、明るい話題はないのかwwとか親戚や親に言われるけど、明るい話題提供したい
もんですな。。
大切な人が死んでいくのは辛いもんだ。
でも、いつか死んでしまうのだから、楽しく過ごしたい。