東洋経済オンライン 6月9日(火)19時10分配信
6月8日に行われたアップルの開発者向け会議(WWDC 2015)。その基調講演で発表された内容を振り返り、なぜ彼らが「One More Thing」という故スティーブ・ジョブズの名セリフを用いて、新しい音楽サービスをローンチしたのかを分析しておきたい。なぜなら、新サービスのローンチこそがアップルが作るデジタル製品の軸足を明確に移したことを示しているからだ。
アップルは、得意の音楽業界とのリレーションを通じて、今後も引き続き新しい世代に対しても最上級のブランドであるためにiTunesとiTunes Storeを中心としたデジタルコンテンツのエコシステムをアップデートし、「音楽販売」に関するブランドを一新することで時代に対応しようとしている。
■ アップルの躍進の原点には音楽があった
そもそもアップルの今に至る躍進の歴史の原点を振り返ると、そこには音楽があった。彼らがコンシューマー市場において大きな影響力を持つようになったきっかけは音楽プレーヤーのiPodだった。iPodによってアップルは、コンピュータを製造する会社から、コンシューマーエレクトロニクスの会社へと脱皮を始めた。
2000年代前半のアップルは、Macを通じて多様なデバイスがつながるデジタルハブという構想をアップルは持っていた。iPodはそのうちのひとつであり、パーソナルコンピュータであるMacを通じることでデジタルコンテンツを扱っていた。インターネットによってもたらされたデジタルコンテンツのネット流通革命を推し進める構想だった。
こうしたアップルの姿勢は、旧態依然としていた音楽業界に対するアンチテーゼの中で引用されるようになり、そのブランド力を一気に高めた。当時はネットを通じた違法な圧縮音楽データの不正流通が問題となっており、それに対抗するために音楽業界や音楽業界に近い位置にいる電機メーカーは消費者に対する統制を強めようとしていた。有り体にいえば、コピー制限を徹底することで、ネットに音楽があふれ出ることを止めようとしたのである。音楽業界とテクノロジーが対立する不幸な状況だった。
その状況に対し、古臭くなったデバイスをリインベント(再発明)し、アンチテーゼを掲げたのが、アップルだった。
当時の電機メーカーを取材していた筆者の印象では、彼らがあえて消費者に不利益な提案をしようとしていたわけではない。しかし、消費者視点から見たとき、(著作権者保護の観点から)電機メーカーが古い仕組みを守り、インターネット化の流れを遠ざけようとしているように感じる場面は多かった。
アップルは音楽業界を中心に巻き起こったインターネット革命の中で、その革新的なイメージを強めていった。その後、本格的にブランド力、企業価値を高めていったのは2007年のiPhone発売後のことだが、音楽との接点はアップルにとって重要なものになった。
■ 旧式になったiTunesのビジネスモデル
しかし、今やそのブランド力の源泉ともなっていたiTunesとiTunes Music Store(開始当時の名称)のビジネスモデルも旧式となっている。iTunesで音楽をダウンロードで売り切るビジネスモデルはここ数年、キャッシュフローが伸び悩むどころか減らしてきていた。
その代わりに台頭してきているのがSpotifyに代表される定額で聴き放題となる加入型音楽配信サービスだ。
デジタル世界において、あらゆるメディアのハブとしてパソコン(アップルの場合はMac)が機能していたころならば、音楽をダウンロード販売し、それを使いやすいコンピュータ上で管理して、コンパニオンデバイスであるiPodなどで楽しむというシナリオが美しかった。
しかし今やクラウドの時代。高速通信機能を持つスマートフォンなら、ダイレクトにクラウドのパワーを引き出すことができる。中心点がパソコンからクラウドに移行していたのはずいぶん前の話だ。アップルも、クラウド時代に適合するようiTunes Matchなどのサービスを提供し、iTunes Storeではアーティストを中心としたファンコミュニティの仕組みを組み込むなど、新しい時代に適応できるよう工夫を重ねてきたが、iTunesの強烈なイメージをぬぐうことは難しい。
ヘッドホンメーカーであるbeatsを買収したのも、音楽流通の枠組みに再びイノベーションが起きようとしているこのタイミングで、加入型音楽サービスと連動できるよう音楽関連の機能を一新して、ブランディングもやり直すことにしたためだろう。
新サービスの名称は「Apple Music」であり、beatsのブランドは使っていない。しかし、音楽業界とのつながりという意味でbeatsがアップルの中にあることが重要なのだ。
音楽サービスだけでなく、今回のWWDCで発表された内容は、現時点におけるアップルの事業基盤を再点検し、ズレが生じている部分を調整しようという意図が見える。つまり、「イノベーション型」というよりも、「キャッチアップ型」なのだ。
たとえば、タブレット端末であるiPadの改良である。iPadはソファーで寛いでデモをしていたスティーブ・ジョブズ氏の印象が強烈だ。
つまり、iPadはあくまでコンテンツを受動的に使用するコンテンツプレーヤーという位置づけだった。能動的な作業はMacで行う、というすみ分けが明確だった。しかし今回、より本格的に作業に耐えられる、すなわちパソコンに近づけようという意図が、iPadの改良には見られた。マイクロソフトはいま、タブレット端末とPC、スマートフォンを融合するWindows 10によって久々に脚光を浴びている。デモの中では、そのマイクロソフトを意識した発言もあった。
その一方、保守的な姿勢もみせた。iOS、MacOS Xといった基本ソフトは、より使いやすく完成されたコンピュータへと向かう。とりわけiPhoneに関しては自らイノベーションを起こすのではなく、現時点の価値を最大限に引き出すことで満足度を高めるほうがアップルにとって理があるためだろう。つまり、iOS、MacOS Xでは、世の中とのズレがないと判断したわけだ。
■ アップルは守りに入ったのだろうか
キャッチアップ型といえば必ずしも悪い意味ではないが、まるで不具合のある箇所にパッチを当てるような対応である。この姿勢をみると、いよいよアップルは本格的な守りの姿勢に入ったのではないか、という観測も出てくる。
事業の太い幹となっている部分に関しては防衛的な対応が目立っているのだから、当然だ。Apple Musicのように現在の事業環境とのズレが大きくなった分野に関しては、新しい波に積極的に乗る姿勢を見せ、そのイノベーションも思い切ったものなのになっているが、厳しくいえば、これも守りだろう。
本当にアップルは守りに入ってしまったのか。筆者は、そうではないと考えている。あくまで今のような、パッチを当てている状態は、次の成長戦略に向けての準備期間だろう。
やはり、アップルは古い仕組みに従わず、新しい価値提案をアンチテーゼとして示してこそ、その価値を発揮できる。テレビ、自動車、医療など「リインベント(再発明)」による覚醒が可能な分野は、数多く残されているのだ。
