今年のノーベル賞文学賞は、日系イギリス人のカズオ・イシグロさんが受賞されました。ニュースの扱いは大きかったけれども、なんとな~く苦労されているように感じたのは彼の紹介の仕方でした。「日本で産まれた・・・」、「日本人の親を持つ・・・」、「幼稚園まで日本で過ごした・・・」等々、もやっとした表現でしたよね。スパッと日系イギリス人と言い切らないところに、日本人としてのルーツをイメージさせたいマスコミ側の願望を感じました(笑)
彼の作品は読んだことはありませんが、2010年の映画「わたしを離さないで」は劇場で鑑賞しております(TVをあまり見ないので、その後TVドラマにもなったということは最近知りました)。映像の中の独特の世界観に、後味のスッキリとしない哀しさを感じました。女優さんのキーラ・ナイトレイとキャリー・マリガンの演技はとても印象的でした。そして多分その頃だと思うのですが、カズオ・イシグロさんをTV番組で拝見して、インタビューのやりとりがすべて英語だったことに大変驚きました
。お名前からして日本の方で、ペンネームをカタカナ表記しているだけと思い込んでいましたし、風貌だってどうみてもアジア系。なのに本物の英語。その時は、イギリス暮らしが長いからビジネス絡みの会話は英語の方が楽なのかしらん~くらいに思って観ていました。国籍のことなんて、考えてもみませんでした。
先日SNSを眺めていて、たまたまカズオ・イシグロさんの国籍を云々とするコメントを読んでいたら、面白かったですね~。冒頭のもやっとした表現そのもののコメントがたくさん!どうも私達、稲作農耕民族・土着信仰は、湿っぽい人間関係がお好きのようです。イギリス国籍を取得したとあるから、イギリス人でいいじゃん!ではもの足りない方が多いようです。
世界中には、日系〇〇人として活躍されている方はたくさんいらっしゃるし、スポーツ業界の方でオリンピックに出場するために国籍を変える方もいらっしゃる。ノーベル賞受賞者の中にもいらっしゃいましたよね。人種の坩堝のアメリカでは、〇〇系アメリカ人という(これからは難しい?)し、ヨーロッパだって同様。思うに、国籍というのは、ナニ人かということではなくて、どこの国のパスポートを所持しているかということなのだと思います。ナニ人かというのは、己の心の中にあるものじゃないのかしらん
個人的には、東日本大震災の後、日本文学・日本文化の学者であるドナルド・キーンさんが日本国籍を取得したというお話がとても好きです。確かお名前も漢字の当て字にされたと思います。
今後、国籍のグローバル化が進み、日系日本人なんて言葉が生まれたりしたら、一体どんな社会になるのでしょうか。それとも、そんなことは・・・・・![]()
■マイお弁当:春巻き、ゴボウの胡麻和え、お豆と胡瓜のサラダ、プチトマト
海の幸とろろ、押麦入りゴハン
