娘の回想記録です。御注意してお読みください。
娘Aの意識がないまま待合室にいると、外来で娘の担当の看護師さんがいつものように問診に来られた。
ひと目娘を見て異変を察知、医師に連絡をとり、採血。
予想通り、入院。
昼過ぎ、一ヶ月前にいた病棟へ移動する。
すぐに医師が変わるがわるやって来て娘の様子を見に来た。
そして話があるからと別室に呼ばれる。
主人をしばらく待っていたが、すぐには来れないからと私一人で聞く事になった。
「今すぐ容態が急変してもおかしくない状況ですので、どこまで治療を望まれるのか最終判断を・・・」
この言葉からはじまった。
意識がないままからの急変は死を意味するものだろう・・・
「今まで何度もお答えしている様に、気管切開等、体は傷つけず、心臓マッサージ等強い衝撃で骨が折れてしまう可能性があることもせず、
苦しまないように・・・・お願いします・・・」
今まで、苦しんできたんだからもう苦しませたくはない!
それが主人の考えだった。私も同じだった。
医師は、形式的なものなのか、今の状況と、それに対しての可能な処置を説明し始めた。
その中で・・・「二酸化炭素の量が多いので、これを取り除くと会話ができるまでにはなる可能性があります」と説明があった。
えっ?
意識が戻るの?会話ができるかもしれないの?
それならば、『お願いします』と、私は答えた。
すると、数人いた医師の一人が遠まわしに反対してきた。
「何で反対するの?」心の中で叫んでいた。
そこに、遅れて主人が部屋に入ってきた。そして医師は私に話した内容をまた話し始めた。
そして、「奥様は二酸化炭素を取り除く処置を。。。と言われてますが・・・。」
主人は私の方を向き「いいの?」と聞いた。
「娘の意識が回復するかもしれないなら。。。可能性があるなら・・・。
可能性があるのにしないなんて・・・」
もう一度主人は聞いた。「本当にいいの?」
「うん」私はうなずいた。
じゃあそれで、お願いします。主人が医師に言った。
すぐに処置が始まった。
無意識に嫌がる娘に、看護師2人がかりで呼吸器をつけた。色んな機械も用意され、痛み止めの点滴も。。。
正常に作動しているか確認が終わると部屋から出て行った。
機械で呼吸させられている娘の姿をみて、苦しくなかな?と心配になった。
主人が口を開いた。
「これ、延命治療だけん・・・。これつけたらもう外せないよ・・・」
「え?二酸化炭素が取れなかったら外せばいいんじゃないと?」
「機械で呼吸させてるから、これ外したらもう、呼吸できないよ」
「っじゃ、もう外す!」
「・・・今更 無理でしょ・・・」
「俺は延命治療はしたくなかった・・・。でも、もう、しかたがない。最後まで見届けてあげよう・・・」
「・・・・」
延命治療に関しては皆様それぞれ色々な意見・思いはあると思います。
ですが、私たち夫婦は、10年以上病と闘ってきた娘を『最後は苦しまず眠るように逝かせてあげたい』と考えました。
娘は生前、『長生きしたくない』と言っていました。
それは、苦しみながら長くは生きたくない。 という風に私は解釈していました。
だから娘の言葉を尊重してあげればと思いました。
もう、苦しませたくなかったのに・・・。なのに、私はなんて事したんだ!
まさか、この処置が延命だとは思わなかった、というより無知だった。
たしかに『回復せずこのままという事もあります』っても言われてたけど、その時の私には右から左にと受け流してしまっていた。
会話が出来るまでになるなら・・・という一心だった。
だから、説明時にあの医師は遠まわしにだけど反対したんだ。
何度も延命治療はしないといっていたから・・・。私たちの事を考えていてくれての発言だったのに・・・
後悔、後悔の波が押し寄せてきて涙がボロボロと流れてくる・・・。
ごめん、ごめんAちゃん・・・
またキツイ、苦しいこと、ママさせてしまったね。
呆然と娘を見ていたら、県外の大学にいる長男が病室に入ってきた。
「A・・・」
呼吸器をつけ苦しそうに寝ている娘Aに長男は呼びかけたが、それ以上は言葉にできず 黙ってしまった
仕事が終わって駆けつけた長女も同じだった。
面会終了の時間になった。私はこの間入院した時の様に病室で寝るつもりだった。
だけど、主人が「夜は俺が看る」というのでお願いして長女、長男と家に帰った。
こんな時に不謹慎かもしれないけれど、アルコールの力を借りて眠りにつきたかった。
後悔で頭いっぱいになっていて いてももたってもいられなかった。
気持ちの切り替えもしたかった。とにかく今日という日を起きて過ごしたくなかった。
子供2人とも車の免許は持ってるから、いざという時は運転してもらうつもりでいた。
空腹でビールを飲み、娘Aが今日の朝まで寝ていたベッドに横になった。。。