5月4日() 日本 みどりの日

 

大会2日目の朝

 

また早く目が覚めたので、散策に出掛けます。

 

  

ちょっと別ルートで

 

 

 

ん~、横須賀のドブ板通りを彷彿とさせますね

 

今日は暑くなりそうだ

 

MAさんとホテルのフロントで待ち合わせて会場入りです。

大会2日目は五段から教士までの演武が行われ、参加者数が多いため、私めのお役目も前後半の2班に分かれる事になりました。(前半を担当)

 

という訳で、MAさんの演武を撮影する機会に恵まれました。

 

 

 

 

 

ちょっと時間が出来たので、MAさんとプチ観光へ。

 

【錦天満宮】

 

 

祭神:菅原道真/創建:長保5年(1003年)

 

 

菅公聖蹟二十五拝 第2番/落陽天満宮二十五社順拝 第25番

 

チョー混雑する錦小路通は避けてふらふら。

 

インバウンド恐るべし・・・です

 

【無量山如輪院宝蔵寺】

 

  

宗派:浄土宗西山深草派/開山:空海/中興:天正9年(1581年)

 

 

伊藤若冲親族の御墓

 

  

画像中央・右:若冲の末弟 宗寂の墓

明和二年乙酉(1765年)十一月十一日

 

伊藤若冲(正徳6年・1716年~寛政12年・1800年)

江戸時代の画家で、代表作に「動植綵絵」(宮内庁蔵)があります。

様々な植物、鳥、昆虫、魚貝などの生き物の生命感をいかに瑞々しく描写するかにこだわった若冲の傑作で、明治22年(1889年)に京都 相国寺より献上されました。

 

【深草山誓願寺】

 

   

宗派:浄土宗西山深草派総本山/開山:恵隠/創建:天智天皇6年(667年)

新西国霊場 第15番札所

洛陽三十三所観音霊場 第2番札所

 

本尊の阿弥陀如来座像は、鎌倉時代から南北朝時代の作と見られており、もともと石清水八幡宮の本地仏で、神仏分離が行われた明治2年(1869年)に誓願寺へ移安されました。

 

【華獄山東北寺誠心院】

 

  

宗派:真言宗泉涌寺派/初代住職:和泉式部

 

  

 

関白 藤原道真が、娘の上東門院彰子(藤原彰子)に仕えていた和泉式部のために法成寺の中、東北寺に建立したお堂(小御堂)が「誠心院」の起こりとされています。

はじめは「じょうしんいん」と呼ばれていましたが、戦後「せいしんいん」と呼ばれるようになりました。

 

  

和泉式部誠心院専意法尼の墓所(宝筺印塔)

 

「あらざらむ このよのほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな

(和泉式部 百人一首より)

 

「大江山 いく野のみちの とほければ まだふみもみず 天の橋立」

(小式部内侍 百人一首より)

 

 

宝筺院塔は謡曲『誓願寺』の舞台にもなっており、正和2年(1313年)に改修建立された塔です。

 

「わらわがすみかも他所ならず。あの石塔こそすみかにてさむらへ。不思議やなあの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるにそのすみかとは不審なり。」

 

紫藤軒言水(池西言水)の墓

 

「木がらし乃 果はありけり 海乃音」

 

紫藤軒言水(慶安3年・1650年~享保7年・1722年)

江戸時代初期から中期の俳人で、同時期に活躍した松尾芭蕉とも親交が深かったと云われています。

 

夕食刻となったので、MAさんと晩餐会へ向かいました。(京野菜居酒屋 ひとくち 四条河原町店)

 

  

 

帰りに土佐藩邸に祀られていた岬神社に参拝し、何気なく振り返ると・・・

 

こ、これはもしや!? おーっ!

 

途中、京都に来たなら一度は「にしんそばを食べないと」という話になり、ホテル近くの立ち食いそば屋さんへ立ち寄ることに。

 

名物立食そば処 都そば

 

 

翌日にMAさんが七段受審を控えているので、本日はこの辺で引き上げます。

 

おやすみなさい バイバイ