3月3日(

 

源範頼についての小説を一気に3冊(『義経じゃないほうの源平合戦』『蒲桜爛漫』『弟切抄』)読んだので、これは関連する地へ行かねば、と金沢文庫駅周辺をふらふらして来ました。

 

【海蔵山太寧寺】

 

  

宗派:臨済宗建長寺派/創建:建久二年(1191年)/本尊:薬師如来/

開山:勅諡大興禅師/開基:源範頼

 

  

住職がお勤め中のため静かに移動

 

はじめ太寧寺は真言宗であったようですが、禅宗寺院になったのは江戸幕府が寺院の本末制度を整えた江戸時代初期の事と考えられます。

 

  

伝源範頼の墓

 

   

 

源範頼公については諸説あるが、範頼が幽閉先の伊豆の修善寺から、兄頼朝の追及をかわし追浜鉈切に上陸し、二年前自分が建てた金沢の薬師寺(後の太寧寺)に逃れた。しかし追及の手は厳しく、頼朝の怒りがついに解けないのを悟った範頼は、これまで、と割腹した。

修善寺から脱出してわずか三週間余、建久四年(1193年)八月二十四日のことである。

当寺は昭和十八年(1943年)、六浦町瀬ヶ崎より範頼公の主従の墓碑と共に現在地に強制移転された。

 

伝源範頼五輪塔の地輪銘文は摩滅していますが、年紀は「至徳四年(1387年)二月二十八日」と読むことが出来るそうです。

 

 

【三療山医王院薬王寺】

 

   

宗派:真言宗御室派/創建:鎌倉時代前期/本尊:薬師如来

 

    

源範頼の五輪供養塔(為太寧寺殿道悟大禅定門 八百回忌供養塔也)/梵鐘

 

当山は三河守源範頼(?~1193年)の別邸の地に、公の霊を弔う為に建立された真言宗の寺で、三愈山遍照坊と号した。

その後一時衰えたが、室町時代中期 尊誉法印(文明十一年・1479年十一月七日示寂)が復興して、中興第一世となった。第五世範勢法印の代、天文五年(1536年)三療山薬王寺と改号し、現在に至っている。

 

  

薬王寺の五輪塔群

 

 

道路を挟んだ場所に称名寺があるので、立ち寄って参拝しましょう。 お願い

 

【金沢山称名寺】

 

  

宗派:真言律宗(別格本山)/創建:文応元年(1260年)/本尊:弥勒菩薩

開山:妙性審海

 

 

当寺の創建は、北條実時の亡母の七回忌に菩薩を弔ったのがその始めで、文応元年(正元二年)頃といわれている。

 

    

 

  

阿形像がピンぼけ・・・

 

忠魂碑(陸軍大将 本庄繁書)

 

  

阿字の池と美女石(美目石)

 

土地の伝説では、昔、姫君がこの池に落ちたのを、乳母が助けようとして一緒に溺れ、石になってしまった、または、その供養に石を立てたともいわれています。そして、「称名の みのりの池の 美女石も 姥もろともに 蓮のうてなに」という歌を伝えています。

 

  

新宮古址

 

  

ウメとロウバイ

 

楷樹(孔子木)

 

この木は昭和十四年(1939年)十一月八日に植えられたもので、植物学上うるし科に属し、和名を「トネリバハゼノキランシンボク」、一般には楷の木とよばれている。

しかし世界的な植物学者 牧野富太郎氏によって新たに孔子木と名づけられた。中国と台湾に多く産するが、日本ではほとんど見ることができない。わずかに孔子信仰と関係がある東京湯島の聖廟、足利市の足利学校などに植樹されている。栴檀や黄櫨の木に似ているが、それより品良い葉形をしており、若葉の頃がもっとも美しい。

 

    

五輪塔と石仏

 

 

  

金沢貞顕の墓

 

  

金沢顕時の墓

 

  

裏山の八角堂広場へ

 

  

今日は寒さが和らいで気持ち良いですね~

 

  

北條實時公御廟

 

  

 

  

 

横浜市消防団が訓練中 消防車

 

  

さすがに北条氏の「三ッ鱗紋」があちこちにありますな

 

  

 

そろそろ引き上げますか

 

当初はお題を「兵どもが夢の跡(源範頼)3」にしようと思っていましたが、称名寺のボリュームが大きくなってしまったので、「ぶらり金沢文庫」に変更しました。

しかし、画像は数年前訪れた時と何ら変わりませんが ショック

 

帰りに見つけたダルマさん「幸」&「福」

 

 

[参考文献]

 ・金沢区佛教会編『かなざわの霊場めぐり』(平成27年12月吉日発行)

 ・神奈川県立金沢文庫『頼朝 範頼 義経』(平成17年6月9日発行)

 ・金沢区制五十周年記念事業実行委員会『金沢ところどころ 改訂版』(平成10年5月16日発行)