空には鳥の声が賑やかに飛び交い、足元には幸せそうに咲く野の花が広がる季節となりました。
すっかり春ですね。

今回は、そんな季節をいくつかの句で表現してみました。
まだまだ未熟ですが、しばしお付き合いくださると幸いです。
いつものように、先人の優れた作品も鑑賞して参ります。





春の風肺いっぱいにレントゲン

 



先日、職場で健康診断がありました。
風が気持ちいい日で、肺いっぱいに春風を吸い込んでレントゲン検査を受けました。


歳時記には、多くの「春風」の句が載っていました。
その中で私が好きなのはこちらです。

春風につかまって出る一輪車
松田理恵

おそらく、小学生くらいのお子さんが一輪車に乗って遊んでいるのでしょう。
風を掴めるはずはないのですが、バランスを取りながら揺れている両手が、柔らかく暖かな春風をふんわり握っている様子が浮かびます。
まるで、春風が手を引いて先導してくれているような気もしてくる句です。
私は子どもの頃、一輪車に夢中になっていた時期があるので、懐かしい気持ちになりました。






造成地宿なき雉の遠音かな

 



近所に毎年キジが訪れていた田んぼがあったのですが、宅地造成のため、埋め立てられてしまいました。
以来、その付近でキジの姿を見ることはなくなりました。
宿を失ったキジはどこへ行ったのだろう。
そう思っていたある日、遠くからキジの鳴き声だけが聞こえました。
何を思って鳴いていたのでしょう。


さて、この句を作っていたとき、ふと鶯宿梅の話が頭に浮かびました。

勅なればいともかしこし鶯の
 宿はと問はばいかが答へむ

昔、清涼殿の梅が枯れたとき、紀内侍の庭にあった紅梅を清涼殿へ移植したそうですが、その梅に上記の歌が付けてあったそうです。
意訳するとこんな感じでしょうか。
「天皇陛下がこの梅をご所望とあらば、畏れ多いことなのでお断りはできません。でも、もし毎年私の庭にやってくる鶯が今年もまた来て『私の宿はどこに行ったの』と尋ねたら、どうやって答えたらいいのでしょう」
この歌を見た天皇は、梅を返したそうです。

これはとても印象的な話だと思います。
歌ひとつで人をハッとさせ、行動まで変化させてしまう。
なかなかできることではありません。
さらりとこんな歌を作ってしまう作者は、とても才知あふれる人だったのでしょう。

私は和歌は作れませんが、いつか俳句で人の心を動かすような作品を作れるようになりたいものです。





くぐもれるイマジン聞こゆ菜種梅雨

 



小雨が降り続いていたある日のこと、ラジオからジョン・レノンの『イマジン』がかすかに聞こえてきました。
『イマジン』は、平和を願う曲です。
ジョン・レノンのくぐもった優しい声が、そぼ降る雨によく合っているなと感じました。

最近、取り合わせの句をよく作るようになったのですが、その難しさに苦戦しております。
取り合わせるもの同士のちょうどいい距離感が掴めないし、二者が響き合うようにするのは本当に難しいです。

上の句も、雰囲気が合うものを取り合わせてみたものの、それ以上の余情がないというか。
読後に「だから何?」と思ってしまうというか。
まだまだ初心者の域から抜け出せないようです。


さて、歳時記でこんな菜種梅雨の句を見つけました。


昼ともす職員室や菜種梅雨

羽紫鏡女


雨で職員室の中が少し暗いのでしょう。

昼間から明かりをつけて仕事に励む先生たち。

新学期に向けて様々な準備を進めているのでしょうか。

菜種梅雨は、明るさや希望をイメージする季語だと私は思っています。

新学期に向けて忙しく働く先生たちの姿が、菜種梅雨によく合っていると思いました。







春昼や真白き紙へ音符書く

 



春の午後に、三味線の譜面を書いていました。
真っ白な紙に春の曲が次第に浮かび上がり、心も浮き立っていくような感覚がありました。


歳時記を見ていると、ときどき和楽器を詠んだ句を見つけます。
例えば、こちら。

琴に身を倒して弾くも春の昼
野見山朱鳥

琴(箏)は、演奏者の手前に高音域の弦、演奏者の向こう側に低音域の糸があります。
「身を倒して弾く」のは、低音域を弾くときでしょう。
でもそれ以上に、傾倒して夢中になって弾いているとも取れそうな句です。
楽器と一体になって演奏し、次第に恍惚として、夢見心地になって。
そんな作者の様子が想像できます。
「春の昼」がよく効いている句だと思います。





咲き遂げし山茶花へ差す朝日かな

 




冬の間、ずっと明かりのように咲いていた山茶花が、ついに数輪を残すだけとなりました。
そんな山茶花に朝日が差して、咲ききった姿を称えるように照らしていました。

山茶花は冬の季語ですが、こんなふうに盛りを過ぎた山茶花を春に詠むのはアリなんでしょうか。


ところで、歳時記を見ていたら、こんな素敵な山茶花の句を見つけました。

山茶花の散りしく月夜つづきけり
山口青邨

山茶花の木の周りには、こぼれ落ちた花びらが、一枚一枚散らばっている。
散ってもしばらくは鮮やかさを失わない花びらを、月が幾晩も優しく照らす。
そんな情景を表現しているのでしょうか。
静かで幻想的で、とてもきれいな句だと思います。



話は変わりますが、先日、NHKのテレビに夏井いつきさんとそのご主人 兼光さんが出演されていました。

兼光さんは、夏井いつきさんの俳句に一目惚れしたとお話されていました。

俳句に惚れるなんて、すごい話だと思います。

私もいつか、そんなレベルに達してみたいものです。

これからも精進したいと思います。