木々の緑がまぶしい季節となりました。
さわやかな風が心地よいこの頃です。

さて、今回も自作の俳句をいくつか掲載いたします。
暦の上では夏になりましたが、前月に作った句を翌月に載せているため、春の句も混ざっております。
一向に上達しませんが、お読みいただけると嬉しいです。
いつものように、歳時記で見つけた素敵な句も鑑賞してまいります。





不要品ありし隙間へ青葉風

 



要らなくなったものを大量に捨てたら、ぽっかりと隙間ができました。
その隙間へ、窓から気持ちのいい風が入ってきました。



さて、歳時記にはこんな青葉風の句が載っていました。


青葉風乳匂う子の大あくび

渡部郁子


なんとものどかで、平穏な気分にさせてくれる句です。

生気に満ちた青葉を吹き抜ける風と、生命力に溢れる赤ちゃんの取り合わせがいいですね。

句全体に輝きを感じられます。






影までも睦まじきこと紋黄蝶

 



よく晴れた日にふと下を見たら、道路に二匹の蝶の影が落ちていました。

その影は、とても仲が良さそうに飛んでいました。



歳時記には多くの蝶の句が載っていますが、その中で私が好きなのはこちらです。


方丈の大庇より春の蝶

高野素十


大きな庇から飛んできた小さな蝶。

どっしりと動かない庇と軽やかな蝶。

対比がとても鮮やかで、景色が目に浮かびます。

ネットで調べると、この句は石庭で有名な竜安寺で詠まれたものだそうです。

あの静かな枯山水の庭に蝶が飛んできたら、とても生き生きと見えるでしょうね。

単に「蝶」と言うだけで春の蝶を指すのに、あえて句の中で「春の蝶」と表現するのはどうしてなのか気になりました。

夏の大きくて華やかな蝶ではなく、春の小さな蝶だと強調したかったのでしょうか。

いずれにしても、とてもきれいな句です。






通し鴨野花へ注ぐ目の優し

 



ある日、たまたま田んぼを見ると、野の花の横に鴨が座っていました。
鴨の視線は花に向けられていて、とても優しい目をしていました。


個人的感覚では、俳句で安易に「優し」という言葉を使わない方がいい気がするのですが、この句の場合、他にどう表現していいか分かりませんでした。



ところで、歳時記でこんな句を見つけました。


千代田区をとぶは皇居の通し鴨

小野草葉子


面白い句ですね。

千代田区を飛んでいる鴨は皇居の通し鴨だと言い切っています。

留鳥ではない鴨もきっといるはずですが。

こんなふうに言い切る句も、私は好きです。






白き蛾の箒へ散りしもろさかな

 



玄関前を掃除していたとき、何やら白いものが落ちていました。
落花だろうと思って箒で掃いたら、既に息絶えていた白い蛾でした。
掃いた途端に羽がもげてしまい、かわいそうなことをしてしまったなと感じました。

この句も、もう少し推敲できそうな気がしますが、今の私の実力ではこれが限界でした。


歳時記を見て初めて知ったのですが、蛾は、火取虫とも言うそうですね。

俳句を学んでいると、初めて出会う言葉がたくさんあります。

そんな火取虫の句で、気になった句はこちら。


しまひ湯のひとりの心火取虫

兼間靖子


家族みんなが入り終えた湯船に最後に入る作者。

一人であれこれ考えていると、風呂場の灯りに誘われて蛾がやってきた。

そんな光景でしょうか。

一人の作者と、一匹のひとり虫。

ひょっとしたら、お互いに寂しさを抱えているのかもしれません。

暖かなお風呂と暖かな光に、「ひとり」同士で、ひとときの安らぎを感じているのかもしれません。

火取虫を一人と合わせる使い方もあるんだなと思いました。





清水やためらひのなき芭蕉の手

 



先日、ある資料館へ松尾芭蕉の展示を見に行きました。
その資料館は、地下水の豊富な街に建てられていて、道中、涼しげな水音を聞きながら歩いていきました。
この展示で一番印象的だったのは、芭蕉の直筆の句。
サッと一気に流れるように書かれていました。
芭蕉はこんな字を書いていたのかと感心しました。

なお、上の写真は「荒海や佐渡によこたふ天の河」の句です。
他にも、展示を見て、芭蕉は蒟蒻が好きだったことや、持病は痔だったということも学びました。
人間味を感じるエピソードで、失礼ながら苦笑してしまいました。


さて、歳時記の清水の項目を見ると、こんな句がありました。

さゞれ蠏(がに)足はひのぼる清水かな
芭蕉

山の中の小川で、小さなカニが脚を上ってきたのでしょう。

きれいに澄んだ水や、涼しげな川の音、カニの感触。

そういったものが直接感じ取れるかのような句です。

きれいですね。




先日の「NHK俳句」では、取り合わせについて特集されていました。
五感で感じられるもの同士を取り合わせるときは、二者を同時に感じられるように詠む。
五感で感じられるものと自分の気持ちを取り合わせるときは、二者を近すぎず遠すぎない距離で説得力があるように詠む。
そんな趣旨のお話でした。

難しいですね。
ちょうどいい距離がよく分かりません。
また、物と物を取り合わせるなら同じ情景の中でという話から考えると、上の真清水の句は完全に失敗していますね。
取り合わせは本当に難しいです。
もっと精進します。。。