山門へ日輪入るや春の暮
山門へ日輪入るや春の暮
夕方、あるお寺の前を通りかかると、ちょうど門の中に夕陽が入っているように見えました。
きれいな景色でした。
さて、歳時記で「春の暮」を見ていたら、こんな句を見つけました。
こゝに又住まばやと思ふ春の暮
高浜虚子
またここに住みたいと願った虚子。
虚子は、どこの出身なのでしょう?
辞書で調べてみたら、愛媛県松山生まれと書いてありました。
(皆さんは既にご存知だと思いますが、私はまだ俳句初心者で、知らないことばかりなので、ご容赦ください。)
春の暮という季語が、郷愁をいっそう掻き立てているように感じます。
俳句を始めてから、松山という地名を頻繁に見聞きするようになりました。
どんなところなのか興味津々です。
いつか行ってみたいものです。
春時雨 葉脈へ置く真珠かな
春時雨 葉脈へ置く真珠かな
雨の日に水仙を見ると、葉っぱの上に丸い雨粒がいくつか乗っていました。
きらりと光っていて、宝石を乗せているようでした。
当初、私は水仙の句を作るつもりだったのですが、歳時記を見て驚きました。
「水仙」は冬の季語なんですね!
てっきり春の季語だと思っていました。
「黄水仙」なら、春の季語だそうです。
勉強になりました。
春時雨を歳時記で調べると、きれいな句がたくさん掲載されていました。
たとえば、こちら。
絵馬百の願いを濡らし春時雨
乾修平
多くの絵馬が、春時雨で濡れている。
きらりと光る明るい雨粒が、願いは成就することを示しているかのよう。
希望に満ちた句だと思います。
素敵ですね。
一斉に笹ささめいて冴返る
一斉に笹ささめいて冴返る
風の強い日に出歩いたら、笹がすごい勢いで「サーッ、サーッ」と鳴っていました。
まるで、笹が意思をもって互いに何か話しているような、そんな奇妙な感覚がありました。
この句では、何度も「さ」の音を繰り返してみましたが、これはやり過ぎでしょうか?
まだまだ初学者なので、いろいろ実験しているこの頃です。
歳時記を見ると、冴返るの句が多く載っていました。
その中で私が気になったのは、こちらです。
冴えかへるもののひとつに夜の鼻
加藤楸邨
読んだ瞬間に「?」が頭に浮かびました。
冴返るものはいろいろあるなあと思いながら句を読み進めて、その中で何が「冴えかへる」のだろうと思っていたら、なんと「夜の鼻」。
唐突な展開にビックリしました。
確かに、寒いときにふと気づくと鼻の先が冷たくなっていることはあります。
朝でも昼でもなく、この句ではあえて「夜の鼻」と言っているのはどういう意味なんでしょう。
夜は、ぶり返した寒さが一層身にしみるということなのか、もっと別の意味があるのか。
不思議な印象を持つ句です。
薄氷や天女の衣落ちてをり
薄氷や天女の衣落ちてをり
寒さがぶり返した日の朝、水たまりに薄い氷が張っていました。
その氷はとても薄く柔らかそうで、まるで、上質な衣類に襞が寄っているようでした。
もしこれが、天女の落とした透明な羽衣だったら。
そう思い、句を作ってみました。
薄氷という季語を初めて知ったときは、ちょっとした感動がありました。
まず「うすらい」と読むことに驚きましたし、その言葉の響きがとてもきれいだと感じました。
俳句を学んでいると、時々こうしたきれいな言葉に出会えるので嬉しいです。
さて、歳時記にはこんな薄氷の句がありました。
泡のびて一動きしぬ薄氷
高野素十
この句の場合、薄氷は「うすごおり」と読むんですね。
歳時記にふりがなが付いていました。
薄い氷の中の小さな泡を句にするなんて、すごいですね。
作者の観察眼に驚きます。
その泡がわずかに動いた瞬間を、よく見つけたなぁと感心します。
こういう小さな変化を見逃さない「目」が俳句を作るには大切なんですね。
犬ふぐり空と寝起きを共にせり
犬ふぐり空と寝起きを共にせり
空の色そのまま貰ひいぬふぐり
近藤美好
きれいですね。
おおいぬのふぐりの青さは、空の色そのもの。
空の色を貰ったと表現するのがおしゃれです。