またしても約1ヶ月ぶりの更新です。

もう少し頻繁に投稿したいのですが、なかなか時間が取れません。。。


さて今回は、暖かな小春日和の景色や、凍てつく寒さを詠んだ句をいくつかお届けします。

相変わらず下手ですが、お読みいただければ嬉しいです。

いつものように、歳時記などで見つけた素敵な句も鑑賞して参ります。






山茶花の転がりさうなつぼみかな




サザンカのつぼみは、ぷっくりとして真ん丸で、とても可愛らしいです。
そのころころとした姿は、今にもどこかへ転がっていきそうです。


歳時記には、山茶花の句がたくさん載っていました。
その中で私が好きなのはこちらです。

山茶花の咲き継ぐのみの庭となる
稲畑汀子

冬に咲く花は、他の季節に比べて少ないかと思います。
この句は、冬に山茶花のみが咲いている庭のことを詠んだのでしょうか。
次から次に咲き続ける山茶花は、寒い季節をパッと明るくしてくれる花ですね。

私が子どもの頃に住んでいた家も、冬は山茶花だけが花を咲かせていました。
今となっては懐かしい記憶です。






返り花 常より多き一樹かな




今年の返り花は、いつもより多い気がします。
数輪ではなく、もっと多くの花が咲いています。
暖冬の影響でしょうか。


私が返り花という言葉を初めて知ったのは、高校生のときです。
その当時、ある俳人の方が、ご自身の俳句や他の方が詠んだ句を毎週メールマガジンで配信していらっしゃいました。
そのメールマガジンで、返り花が紹介されていたのです。

その季語を知ったとき、きれいな言葉だなと思ったと同時に、なんて寂しい言葉なんだと感じたことをよく覚えています。

そのとき紹介されていた句がこちらです。

日あたりてまこと寂しや返り花

日野草城


小春日和に誘われて、思わず花を咲かせた桜。
日の光を受けてきれいではあるものの、春の桜のようなあふれるほどの生命力はなく、どこか寂しさを背負っているように見える。
そんなことを語っているのでしょうか。

返り花を使った句には、寂しさや故人への思いを詠み込んだものが見受けられます。
単なる花以上の意味を含んだ深い季語ですね。
私もいつか素敵な返り花の句を作れるよう鍛錬したいものです。





霜焼けや撥持ちにくき指二本




私は冷え性で、寒くなるとすぐに霜焼けができてしまいます。
今も、指が少し腫れて、三味線のバチが持ちにくくなってしまいました。
細かな力加減が調整しづらいので、早く治ってほしいものです。


霜焼けの句も、歳時記に多く掲載されています。
同じ季語を使っていても、句によってこんなに霜焼けの印象が違うのかと驚くほどです。

例えば、こちらの句をご覧ください。

霜焼の耳持ち第一反抗期
墳﨑行雄

なんでもイヤイヤと言う年頃のお子さんでしょうか。
その小さな耳には、赤い霜焼け。
ダダをこねる子に手を焼きつつも、霜焼けまで愛おしく思っている親御さんの気持ちがにじみ出ているように思います。

続いて、こちらの句もご覧ください。

父逝けり耳の霜焼癒えずして
榮水朝夫

厳しい寒さを物ともせず、お父さんは頑張って働いてきたのでしょう。
治らぬままになってしまった霜焼けが、そのことを物語っているようです。

同じ霜焼けでも、反抗期の句は愛しさを含んだ霜焼けで、父逝けりの句は厳しさを含んだ霜焼けです。
こんなにも季語から広がる世界が違うなんて。
俳句の持つ力はすごいですね。
改めてそう感じました。





冬の日を集めて憩ふ重機かな




家の近くの建設現場を通りかかると、昼休みなのか、作業する人の姿はなく、重機だけが残されていました。
ショベルカーの腕の部分に冬の陽射しが集まり、まぶしく光っておりました。


「冬の日」を使った句で、私が好きなのは以下の句です。

今しがたありし冬日の其処に無し
粟津松彩子

今そこに差し込んでいた冬の太陽が、ふと見ると、もう当たっていない。
だいたいこんな意味でしょうか。

冬は日照時間が少ない上に、すぐ曇ったり、ときには時雨れたり、なかなか晴れ続けることはありません。
そんな生活の実感がよく伝わり、共感を覚えました。





高熱や骨まで凍る一夜なり




先日、コロナのワクチン接種をしてきました。すると、その夜にひどい寒気が。

身体が震えて、歯がガタガタと鳴るほどでした。

なかなか眠ることもできず、浅い眠りが覚めるたびに熱も上がり、大変な一夜を過ごしました。



歳時記には、凍るという季語を使ったこんな句が載っていました。


流れたき形に水の凍りけり

髙田正子


なんだか楽しい句です。

水が意思を持っているかのよう。

水は、自らが流れたい形になって凍った。

その形はそれぞれ個性に富んでいて、芸術的な形になっているのでしょう。

形なき水が形を持つときの変化に着目した珍しい視点の句だと思います。





歳時記やテレビ、ブログなどで他の方の句を拝見すると、多くの素敵な言葉に出会います。

その言葉から作られた俳句を通して、いつも素敵な世界をたくさん見せてもらっています。

たった十七文字の後ろに、こんなに大きな空間が広がっているなんて本当に不思議です。

面白い文芸だとつくづく感じます。

今後も俳句を楽しみたいと思います。